波多野栄一

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波多野 栄一(はたの えいいち、1900年9月30日 - 1993年11月5日)は、主に昭和期に活躍した芸人。百面相をやった。本名は畑野栄吉。

来歴[編集]

東京市の生まれ、築地工手学校卒業。1919年(大正8年)、新劇、民劇座に入り、翌年に文芸座へ移る。

青年時代から大浜少女歌劇団[1]の教師、田谷力三のオペラ座での役者や、映画の助監督を経て、「波多野栄一漫劇隊」というショー一座を作り、1937年(昭和12年)、吉本興業東京吉本)に入る。渋谷花月を常打ちとし、いつもトリを任されるほどの人気だったという[2]。その後、東宝名人会の専属漫才を経て、戦後は落語協会に所属し、古老として寄席テレビに百面相で出演した。  

芸風[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 大阪府大浜公園 (堺市)に存在した大浜潮湯1923年-1934年内の劇場に本拠地を置いていた。
  2. ^ 小島貞二 『ぼくの人生、百面相-波多野栄一芸界私史』 學藝書林、1991年、113頁