池田勝 (教育者)

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池田 勝(いけだ まさる、1911年3月2日[1] - 没年不明)は日本教育者

来歴[編集]

熊本県荒尾市に生まれる[1]。熊本県立玉名中学校(現・熊本県立玉名高等学校・附属中学校、1928年卒業)を経て、京城帝国大学法文学部を卒業した。

卒業後は朝鮮・全州師範学校教諭となる。戦後は母校である玉名高等学校の教諭を務めた後、熊本県教育委員会指導委員となる。その後教職に復帰し、熊本県立荒尾高等学校(1956年着任)・熊本県立宇土高等学校(1960年着任)[1]熊本県立第一高等学校熊本県立鹿本高等学校で校長を歴任した。荒尾高等学校長就任は、生徒のストーム事件の事後処理がその理由だった。熊本県教育委員会では指導室長も務めている。

熊本県を退職後は熊本工業大学の教授となり、歴史学を教えた。退任後は名誉教授となる。

脚注[編集]

  1. ^ a b c 『大衆人事録 第26版 西日本編』(帝国秘密探偵社、1968年)p.151