武藤哲裕

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武藤 哲裕(むとう てつひろ、1960年4月14日- )は、日本の元社会人野球選手(投手、右投右打)。

人物・来歴[編集]

愛知県出身。中京高校(愛知)3年時に夏の甲子園に出場、連日の好投で同校をベスト4に進出させる。準決勝の対PL学園高校大阪)戦でも8回までPL打線を0点に抑え、味方の援護もあって4-0とリード。ところが9回裏あと一人の所からまさかの乱調で4-4の同点に追いつかれた挙げ句、延長12回裏に自らの押し出しにより痛恨のサヨナラ負け(4-5x)を喫し、中京高校(愛知県勢としても)12年ぶりの全国制覇の夢が絶たれてしまう(この試合の詳細は逆転のPLの項目を参照のこと)。

卒業後は明治大学に進学、東京六大学野球リーグ戦では4年間で23試合10勝3敗、防御率1.52の成績を残す。また、先述の夏の甲子園で辛酸をなめた相手である、共にPL学園から法政大学に進学した西田真二(のち広島、現・社会人野球セガサミー監督)と木戸克彦(のち阪神、現・阪神コーチ)とも神宮で再戦している。

明大卒業後は社会人野球・日本鋼管に進んだが、同チームでは実績を上げられず事実上野球の表舞台から姿を消した。

その後名古屋市の草野球チーム「下茶屋ファイターズ」でプレーした後、現在は名古屋市のクラブチームエディオン愛工大OB BLITZのアドバイザー兼強化委員を務めている。また、夏の高校野球愛知大会NHK名古屋制作)の解説も務めている。

関連項目[編集]