横山長隆

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横山長隆
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 天文8年(1539年
死没 天正11年4月21日1583年6月11日
改名 長隆、半喜(号)
主君 稲葉良通金森長近前田利長
氏族 小野姓美濃横山家
父母 横山時隆杉弥左衛門
杉弥左衛門娘
長秀長知長忠常隆齋藤好章(利三)室、伊藤宗喜室、奥村易英正室
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横山 長隆(よこやま ながたか) は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将前田氏の家臣。加賀八家横山家初代。

生涯[編集]

天文8年(1539年)、美濃国多芸郡国人横山時隆の子として誕生。長隆は小野姓横山氏(横山党)の末裔で、祖先は和田合戦のあと本領を失い、美濃に移住したと伝わる。長隆はまず、多芸郡直江郷の杉弥左衛門婿養子となった。

清水城主・稲葉良通(通朝)に仕えるも、同僚と争い、相手を殺害して越前国に逃れる。大野城金森長近に仕えた後、金森家を退き、越前府中で閑居して半喜と号す。天正10年(1582年)、前田利長に出仕し旗奉行となる[1]

天正11年(1583年賤ヶ岳の戦いに出陣し殿軍を務めて、近江国柳ケ瀬[2](現在の滋賀県長浜市余呉町柳ケ瀬)で戦死した。享年45。

系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 後年、前田利家が死去した際に長隆の跡を継いだ横山長知は利家からの遺物分配を受けていないが、これは横山長隆が利長によって召し抱えられて前田家に仕え、同家は利家と直接の主従関係にはなかったことによる(木越隆三「慶長期加賀藩家臣団の構成と動向」(初出:棚町知弥・鶴崎裕雄・木越隆三 編『白山万句 資料と研究』(白山比咩神社、1985年)/所収:大西泰正 編『シリーズ・織豊大名の研究 第三巻 前田利家・利長』(戎光祥出版、2016年) ISBN 978-4-86403-207-0)))。
  2. ^ 横山政賢 編『横山氏系図』金沢市立玉川図書館近世資料館所蔵 加越能文庫。 

出典[編集]