松平定郷

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松平定郷
時代 江戸時代中期
生誕 元禄15年4月29日1702年5月25日
死没 宝暦13年4月19日1763年5月31日
改名 左膳(幼名)、定郷
戒名 常照心光院
墓所 東京都江東区白河霊巌寺
官位 従五位下筑後守
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗家重家治
伊予今治藩
氏族 久松松平家定房
父母 松平定昌:不詳
養父松平定基
兄弟 定郷定武定秀
正室松平定基の娘・
定温定延、女子
養子定休
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松平 定郷(まつだいら さださと)は、江戸時代中期の大名伊予国今治藩の第5代藩主。定房系久松松平家5代。官位従五位下筑後守

生涯[編集]

元禄15年(1702年)4月29日、第3代藩主・松平定陳の弟で5000石を領した旗本松平定昌の6男として誕生。享保8年(1723年)に従兄で4代藩主・松平定基の婿養子となり、享保17年(1732年)2月2日の養父の隠居により跡を継いだ。この時、従五位下、筑後守に叙任する。

藩政においては、享保の大飢饉により大雨と旱魃が相次ぎ、虫害にも苦しめられ、本来なら3万石のところが5000石ほどしか収穫できず、死者が相次ぎ、御用銀の借り入れや神社の祈祷を行なうほどであったという。延享5年(1748年)2月から宝暦12年(1762年)まで大坂加番を務めている。宝暦13年(1763年)には先代からの蒼社川の改修工事が完成した。

宝暦13年(1763年)4月19日に死去した。享年62。長男・定温は前年に早世していたため、定温の長男・定休が跡を継いだ。

系譜[編集]