東京 (各国)

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東京(とうけい、とうきょう、トンキン)は、陪都制において「東の都」を意味する語である。

現代では日本の東京を指す場合が多いが、他にも歴史上「東京」と呼ばれた都市は存在する。ここでは各国・各時代の「東京」という地名について述べる。

中国[編集]

宋代の東京(開封)を描いた巻物「清院本清明上河図

中国の地名としては、日本語では「とうけい」の読みをあてることが多い。現代の標準語である普通話での発音は「ドンジン (Dōngjīng)」である。「東京」は、中原においては洛陽または開封を指す場合が多い。ただし北方の征服王朝では指す対象は異なる。

後漢[編集]

東京という言葉の起源は後漢(東漢)である。後漢は、前漢(西漢)の都である長安から東の洛陽に遷都したため、洛陽は「東京」あるいは「東都」と呼ばれた。なお、この遷都のために、主に中国で、後漢のことを東漢と呼ぶ。

隋唐[編集]

は都を長安に置き、洛陽を陪都として「東京」あるいは「東都」と呼んだ。

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は、国土を5に分け、それぞれに上京臨潢府、東京遼陽府、中京大定府、南京析津府、西京大同府の5都を置いた。東京遼陽府は現在の遼寧省遼陽市にあたる。遼陽は、副都を置くにあたって襄平から改名されたものである。

北宋[編集]

北宋は、東京開封府、西京河南府、南京応天府、北京大名府の4つの都を置く四京制を敷いた。東京開封府は現在の河南省開封市である。現在でも雅称として開封を「東京」と呼ぶことがある。

西夏[編集]

西夏は、東京興慶府を都とし、西京西平府を陪都とした。東京興慶府は現在の寧夏回族自治区銀川市である。

後金[編集]

後金(清国)は、太子河を挟んで遼陽の対岸に副都として東京(東京城)を置いた。

朝鮮[編集]

高麗は、正都開京(開城)に、東京(慶州)、西京(平壌)を加え三京とした。15代粛宗の時代に南京(漢城、現在のソウル)を加え四京とした。

渤海[編集]

渤海は、上京龍泉府、東京龍原府、中京顕徳府、南京南海府、西京鴨緑府の五京を置いた。東京龍原府は現在の吉林省琿春市八連城にあった。また、上京龍泉府の城内の東部は「東京」、西部は「西京」と呼ばれていた。この名残で、現在の上京龍泉府の遺跡東京城と呼ばれている(東京龍原府のことではない)。

ベトナム[編集]

ベトナムでは、黎朝の時代、現在のハノイが「東京(ドンキン、Đông Kinh)」という名称だった。ヨーロッパ人はこれを Tonkin などと表記し、ザィン川以北のベトナム北部地域全体を指す語としても用いた。1802年に阮朝フエに遷都し、ドンキンは1831年にハノイと改められたが、フランス植民地体制下、「トンキン」はフランス領インドシナを構成するハノイを中心としたベトナム北部の保護領を指す名称として使用された。現在では「トンキン」の呼称は余り用いられないが、バクボ(北部)湾の通称である「トンキン湾」に名残をとどめている。

日本[編集]

日本では、京都に対し、かつての江戸を、東の「京」(みやこ)、東京と呼ぶ。1868年の「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」により、江戸府東京府と改称された。読み方は今の「とうきょう」の他に「とうけい」とも読まれた。また、「京」は異字体の「亰」が使われることもあった。これは中国の東京との混同を防ぐためといわれる。その後、東京市が存在していた時期を経て、現在は東京都と呼ばれている。

また、長野市鬼無里地区(かつての鬼無里村)には、「東京(ひがしきょう)」「西京(にしきょう)」という集落がある。

関連項目[編集]