村田憲司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
村田 憲司
(むらた けんじ)
生誕 1947年????
日本の旗 日本 大阪府大阪市
教育 京都大学法学部
職業 産経新聞編集局次長
文化部長
テンプレートを表示

村田 憲司(むらた けんじ、1947年昭和22年〉 - )は、日本のジャーナリスト。元産経新聞新聞記者大阪府で3人目の民間人校長として大阪府立東住吉高等学校校長を務めた[1]

略歴[編集]

大阪市生まれ。大阪府立高津高等学校京都大学法学部を卒業した。映画助監督を経て産経新聞大阪本社に入社した。社会部(教育担当)や文化部の記者を経て文化部部長、編集局次長を経て2002年平成14年)に退社した[1]。翌2003年平成15年)1月、大阪府教育委員会の3人目の民間人校長に採用され、4月から大阪府立東住吉高等学校の校長に就任した。3年後の2006年3月、「校長の仕事は非常に激務で四六時中、緊張を強いられる」として退職した。退職の際に「体力、気力が十分でないと務まらない職で、健康に自信がなくなった」と説明している[2]

人物[編集]

当初、産経新聞を早期退職して「買いためた本を読もうと考えていた」が、府教育委員会の民間人校長募集を知り、挑戦したという[3]

理由として「自分を育ててくれた府立高校にOBとして特別な思い」があり、「(母校の高津)高校が大好きだった。先生は熱心に教えてくれたし、一生懸命学べば、夢はかなえられると思っていたから」と産経新聞の取材に語っている[3]

また、学校の在り方について「生徒が夢をかなえるための出発点」と捉えており、「不登校中退、学力などの問題が山積し、地域や家庭の状況も(自分が高校生だった)40年前とは違うだろうが、一生懸命やれば夢はかなうという理想は大事にしたい」として、東住吉高校での教育に「私は哲学が好きなので、哲学を取り入れられたら」。その理由として、「子供に『生きることとは何か』を考えさせるのは大事だし、子供にそのための力を授けて励ますのが教育だと思う。実際にできるか先生方に相談しますが」としていた[3]

脚注[編集]

  1. ^ a b 大阪府立東住吉高等学校『半世紀の歩み 創立50周年記念誌』(2004年
  2. ^ 産経新聞2006年平成18年)3月29日朝刊 東住吉高校長が退職へ 健康上の理由 府3人目の民間出身
  3. ^ a b c 産経新聞2003年4月11日夕刊 教育最前線 民間人校長 大阪府立東住吉高 村田憲司校長