李霊

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李 霊(り れい、390年 - 452年)は、北魏学者官僚は虎符。本貫趙郡柏人県

経歴[編集]

李勰の子として生まれた。431年神䴥4年)、太武帝が天下の才俊を集めると、李霊は召し出された。中書博士に任じられ、侍郎に転じた。451年太平真君12年)、太武帝の南征に従って長江北岸まで進み、淮陽郡太守に任じられた。李霊は学識に優れ、温厚謹直な性格であったため、拓跋濬に経学を教授する役目を担った。後に建威将軍・中散・内博士の任を加えられ、高邑子の爵位を受けた。452年興安元年)、拓跋濬(文成帝)が即位すると、平南将軍・洛州刺史に任じられたが、まもなく死去した。享年は63。散騎常侍・平東将軍・定州刺史の位を追贈され、鉅鹿公に追封された。は簡といった。

子女[編集]

  • 李恢(高邑子、員外散騎常侍・安西将軍・長安鎮副将、鉅鹿公、467年に東平王拓跋道符の反乱のために殺害された)
  • 李綜(行河間郡太守、早逝)

伝記資料[編集]