末次虎太郎

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末次 虎太郎(すえつぐ とらたろう、1878年8月18日[1] - 1948年1月2日[2])は、日本の政治家衆議院議員(1期)。

経歴[編集]

東京都出身[3]。明治法律学校で学ぶ。末次商会を設立。機械と応用化学品の製造販売に従事する[3]。青年の体育振興のため、大日本相撲奨励会を創立し、常務理事となる。私立満蒙学校を創立し、校長となる[3]

1936年第19回衆議院議員総選挙において福岡4区(当時)から立憲政友会公認で立候補して当選する[4]。次の1937年第20回衆議院議員総選挙で落選した[5]1942年第21回衆議院議員総選挙では非推薦で立候補したが落選した[6]。1948年死去。

脚注[編集]

  1. ^ 衆議院『第六十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1936年、29頁。
  2. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』326頁。
  3. ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』325頁。
  4. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』112頁。
  5. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』121頁。
  6. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』132頁。

参考文献[編集]

  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。