木下尚慈

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

木下 尚慈(きのした しょうじ、昭和19年(1944年1月4日 - )は日本実業家ユニリーバ・ジャパンの元代表取締役社長。博報堂アドバイザー。ブルゴーニュワイン騎士団会員。葡萄の騎士の会理事。日本紅茶協会名誉顧問。日本国際ボランティアセンター(JVC)会員。日本クラリネット協会会員。長竹カントリークラブ会員。ワグネルソサィェティーOBオーケストラ団員。

丸金醤油の元社長木下元義の三男。

経歴[編集]

香川県小豆郡内海町(現小豆島町)出身。

1966年3月慶應義塾大学経済学部卒業。1978年6月スタンフォード大学大学院(Master of Business Administration)。

キリンビール、キリンシーグラム、UCC上島珈琲を経て、1995年4月日本リーバ(現ユニリーバ・ジャパン)入社。2000年7月 BBLジャパン(現:ユニリーバ・ジャパン・ビバレッジ)代表取締役社長。2004年4月 ユニリーバ・ジャパン代表取締役社長就任。2006年12月ユニリーバ・ジャパン社長を退任。2007年1月株式会社きのした設立。同社代表取締役に就任。2009年9月、新宿御苑にマエストローラ音楽院を開校、理事長に就任。

系譜[編集]

木下家(丸金醤油の100年

『われら一族―現代の豪族―』93-100頁によると、

「木下家は水軍の子孫である。現在木下家に保存されている千石船「太神丸」の記録によれば、木下一族は代々「塩屋忠次郎」を名のっており、文政天保(1818年~1843年)のころには、北は函館、南は鹿児島まで手広く回船問屋を営みはじめていた。また浜には多くの塩浜を持ち北九州に漁場を持つなど、この一族は小豆島を代表する豪族だった。文禄元年(1592年)の朝鮮征伐に参加した水軍の総勢は9450人といわれているが、小豆島からは船50余艘、水夫650人が参加した。水先案内人の「兵衛(ひょうえ)」は抜群の働きをした功績によって、木下姓を許された。この木下兵衛が塩屋忠次郎一族の祖先だといわれている。」という。
  
       ┏木下東洋太郎
       ┃
       ┃ 
木下忠次郎━━╋木下忠重━━━━木下光三
(六代)   ┃(七代)    (八代)
       ┃
       ┗木下元義━━━━木下尚慈       

参考文献[編集]

  • 東京放送編 『われら一族―現代の豪族―』 1969年 91-118頁
  • 日経ビジネス2005年11月14日号「ひと劇場:木下尚慈氏・ユニリーバジャパン社長」

マエストローラ音楽院:http://www.maestrora.jp

脚注[編集]

外部リンク[編集]