朝倉宣親

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朝倉宣親
時代 江戸時代前期
生誕 慶長9年(1604年
死没 寛永6年11月29日1630年1月12日
主君 徳川忠長
父母 父:朝倉宣正、母:朝倉局(土井利昌娘)
兄弟 牧野儀成室、宣親正世宣季
屋代忠興正高伊東祐豊正室、
加藤明利正室
正室:酒井忠勝娘・長松院
青木重正(長男)
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朝倉 宣親(あさくら のぶちか)は、江戸時代前期の武士

駿河大納言・徳川忠長の家臣で、附家老を務めた遠江国掛川城主・朝倉宣正の長男として誕生した。

父の跡を継いで駿府藩附家老となるはずだったが、寛永6年(1629年)に死去した。享年26。その後、寛永9年(1632年)には主君の忠長が改易され、朝倉家も除封された。

寛永2年(1625年)に産まれた長男の重正は、朝倉家除封後は母方の祖父の酒井忠勝に養われた。のち、酒井家の縁で 摂津麻田藩青木家の養子に迎えられた。