有田延

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有田 延(ありた のぶ、1878年1月2日 - 1944年10月19日)は、日本の造船技術者。海軍造船少将

経歴[編集]

福岡県出身[1]。1896年福岡県立尋常中学修猷館[2]、1899年7月第五高等学校工科[3]を経て、1902年7月東京帝国大学工科大学造船学科を卒業[4]。東大在学中の1901年2月、海軍造船学生試験に合格。

1902年呉海軍造船廠に入り、その後、造船廠と造兵廠が合併し、呉海軍工廠が設立されると、その造船部部員となる。1907年佐世保海軍工廠造船部部員となる。ここで筑摩型防護巡洋艦の設計を行い、この型の巡洋艦として、筑摩矢矧平戸の3隻が建造された[5]

1911年造船監督官として英国に出張。ヴィッカース社による戦艦金剛の建造を監督し、竣工まで立ち会っている。1913年帰国し、横須賀海軍工廠造船部部員となる。1914年海軍艦政本部第三部(造船部門)に出仕、1915年海軍技術本部部員となる。1919年12月海軍造船大佐に累進。1922年12月海軍艦型試験所所長に就任。1923年4月、海軍造兵廠研究部、海軍艦型試験所、海軍航空機試験所を統合し、海軍技術研究所が設立されると、研究部の初代造船班主任に就任する[6]。同年12月海軍大学校教官を兼務し、1924年12月海軍艦政本部第四部(造船部門)部員も兼務した。1924年12月海軍造船少将に累進。1925年10月待命。同年11月予備役[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b 外山操『陸海軍将官人事総覧 海軍編』 338頁、芙蓉書房、1981年
  2. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員2頁
  3. ^ 『第五高等学校一覧(自昭和11年至昭和12年)』(第五高等学校、1936年)190頁
  4. ^ 『東京帝国大学一覧(從大正7年至大正8年)』(東京帝国大学、1919年)學士及卒業生姓名193頁
  5. ^ 『日本巡洋艦史』世界の艦船2012年1月号増刊第754集(増刊第101集)76頁、海人社、2011年
  6. ^ 沢井実「戦間期における海軍技術研究所の活動」大阪大学経済学第58巻第1号(通号182) 1,14頁 、大阪大学大学院経済学研究科、2008年