曹敏仙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2018年ブエノスアイレスユースオリンピックで主審を務める曺敏仙
獲得メダル
柔道
大韓民国の旗 大韓民国
オリンピック
1996 アトランタ 66 kg級
1988 ソウル 48 kg級
2000 シドニー 70 kg級
世界柔道選手権
1993 ハミルトン 66 kg級
1995 幕張 66 kg級
1989 ベオグラード 52 kg級
1997 パリ 66 kg級

曺 敏仙(チョ・ミンソン、: 조민선: Cho Min-Sun1972年3月21日 - )は、韓国の女子柔道家韓国体育大学校教授。身長175cm[1]

全羅南道霊岩郡出身[2]

概要[編集]

1988年のソウルオリンピック公開競技柔道では48 kg級に出場して、準決勝で江崎史子小内刈で技ありを取られて敗れるも3位となった。1989年の世界選手権では52 kg級で出場して3位となった。1990年には世界ジュニアに56 kg級で出場して優勝を飾った。その後66 kg級に階級を上げるが、1992年バルセロナオリンピックでは国内予選で朴志暎に敗れて出場できなかった。1993年の世界選手権では決勝でアメリカのリリコ・オガサワラを大内刈で破って優勝を飾った。1994年のアジア競技大会決勝では大石愛子と対戦して優位に試合を進めていたものの、終了1秒前に払腰で効果を取られて敗れた。その後の世界学生では優勝を飾った。1995年にはユニバーシアードで優勝すると、世界選手権でも決勝でキューバのオダリス・レベを内股で破って2連覇を達成した。1996年アトランタオリンピックでは決勝でポーランドのアネタ・シュチェパンスカを合技で破るなど、オール一本勝ちで優勝を果たした[1]。翌年の世界選手権では準決勝でイギリスのケイト・ホーウェイ双手刈で敗れて3位にとどまった。その後一時引退するが、後輩が思ったほどの活躍をしていないことから復帰してミキハウスに所属することになった[3]。2000年のアジア選手権では上野雅恵縦四方固で敗れて3位だった。2000年シドニーオリンピックでは準決勝でキューバのシベリス・ベラネスに効果で敗れるが、3位決定戦でベルギーのウラ・ウェルブルックを技ありで破って3位となった[1]。 長身を利しての内股と大内刈が得意技だった。

2018年、19人のIJF殿堂入りの一人に。北朝鮮ケー・スンヒと二人で壇上に上がって受賞となった。フォトセッションではツーショットに。

IJF審判員ランキングは6.7レイティングポイントで41位(2015年7月現在)[4]

主な戦績[編集]

48 kg級での戦績

56 kg級での戦績

66 kg級での戦績

70 kg級での戦績

脚注[編集]

  1. ^ a b c Jo Min-Seon Biography and Olympic Results[リンク切れ]Archived 2020年4月17日, at the Wayback Machine.
  2. ^ 왕년 유도 스타 조민선 심판 맹활약” (朝鮮語). 남도일보 (2005年7月15日). 2022年11月13日閲覧。
  3. ^ 「2000年アジア選手権大会」近代柔道 ベースボールマガジン社、2000年7月号、23頁
  4. ^ Referees Ranking list 2015”. 2016年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年7月27日閲覧。

外部リンク[編集]

  • 曺敏仙 - JudoInside.com のプロフィール(英語)