星野平兵衛

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星野平兵衛

星野 平兵衛(ほしの へいべえ、1850年1月27日嘉永2年12月15日) - 1905年明治38年)3月13日)は、埼玉県政治家実業家浦和町初代町長、埼玉県会議長などを務めた。

人物[編集]

中山道浦和宿の戸長につき、立憲改進党系で、秩父事件後に吉田清英が画策した県庁の熊谷移転を阻止した。1889年(明治22年)には埼玉県の県庁所在地である浦和町の初代町長に就任した。政界引退後は浦和商業銀行を設立に尽力した。

略歴[編集]

  • 1850年1月27日(嘉永2年12月15日[1]) - 武蔵国浦和宿に生まれる。
  • 1875年(明治8年) - 埼玉県浦和宿戸長。
  • 1889年(明治22年) - 浦和町長に就任。
  • 1890年(明治23年) - 埼玉県会議員となり、議長に就任。
  • 1900年(明治33年) - 浦和商業銀行を設立。
  • 1905年(明治38年)3月13日 - 57歳で死去。

脚注[編集]

  1. ^ 日本人名大辞典 講談社

関連項目[編集]