日本の軍事予算

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日本の軍事予算(にっぽんのぐんじよさん)は、自衛隊の資金に割り当てられた日本の予算の全体の一部である。この軍事費(防衛費)は、従業員の給与並びに訓練費用、装備並びに設備の維持、新規もしくは現行の作戦の維持、そして新しい兵器、設備並びに車両の開発と調達の資金を供給する。

2020(令和2)年12月に、菅義偉内閣は記録的な5.34兆円(517億ドルまたは424億ユーロ)の防衛予算を財政年度2021(令和3)年において承認した。中国北朝鮮の潜在的な脅威に対抗する目的をもった、ステルスジェット戦闘機、新型長射程ミサイルシステム、及び小型軍艦における投資をこれは含む。その処置をもって、過去8年の安倍内閣の場合の様に、政府は防衛支出を毎年増額し続ける[1]

歴史[編集]

冷戦期[編集]

1980年代東西冷戦での軍備拡張競争の期間中でも、日本では軍事費は低い優先順位しか与えられていなかった。日本の国防政策 英語: Defense policy of Japanによれば、軍事制度の維持は国防を達成するのに唯一の方法である―なおかつ最良の方法ではない。外交手腕、経済援助並びに開発、そして1960(昭和35)年の防衛条約の協約のもとでのアメリカ合衆国との親密な関係は全て多大に重要であると考えられる。財政年度1986(昭和61)年から財政年度1990(平成2)年にかけて、一般会計英語: Monetary and fiscal policy of Japan に占める防衛予算は、アメリカ合衆国の28%に対し、大よそ6.5%だった。軍事支出総額において、1987(昭和62)年には、ソビエト連邦、アメリカ合衆国、フランス、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)、イギリスに次いで、世界で7番目の順位を着けた。主に高の理由で、1989(平成元)年にはアメリカ合衆国、ソビエトに次ぐ3番目の順位に着けた。財政年度1991(平成3)年では、防衛予算は国家予算の6.2%となった。ストックホルム国際平和研究所によれば、日本は2004(平成16)年から2005(平成17)年にかけて、421億ドルを費やし、4番目の順位を着けた;ザ・ワールド・ファクトブック、及びCIAによれば、日本は447億ドルを費やし、5番目の順位であった(中国による支出に対する、CIAの徹底的な過大評価により番付は異なる)。

毎年の予算についてはさらに、防衛庁は1957(昭和32)年に、内閣承認の建設計画の一連の系列を準備した、これはそれらを達成するような調達目標を設けて制度化するものである。最初の三つの計画(1958(昭和33)年から60(同35)年、1962(昭和37)年から66(同41)年、1987(昭和62)年から91(平成3)年)のもとで、財源の優先順位は、限定的な侵略に対抗するような能力の制度化を設けるものだった。1973(昭和48)年のオイルショック 英語: 1973 oil crisis以来の経済的困難は、しかしながら、第四次防衛計画(: Fourth Defense Buildup Plan、1972-76(昭和47-51)年)の達成における重大な問題を引き起こした、そして資金拠出は切り詰められ、防衛政策に横たわる基本的概念についての問題が持ち上がった。

1976(昭和51)年に政府は歳出、人員、及び基地の副次的な増大は事実上不可能になるであろうことを認めた。その代わり、「標準防衛概念」(: standard defense concept)が提起された。それは自衛隊での量的というよりはむしろ、質的改良の努力である。防衛支出は、1976年の国家防衛計画大綱(: 1976 National Defense Program Outline)以降に設けられたような、防衛のひとつの基本的水準の達成において的を絞られるべきであることが決定された。それ以来、政府はうわべは開放的にみえる性格によって国民を驚かしたような立案を引き受けることを中止して、そして明白に到達できる目標にし得る単一財政年度方式での信頼に切り替えた。

防衛支出は1970年代後半を通してわずかに増加した、そして1980年代には実質的に防衛と政府開発援助だけが増額を認められた。自衛隊の前線装備の改善と兵站支援システムの拡充のために、1985(昭和60)年に防衛庁は財政年度1986(昭和61)年から財政年度1990(平成2)年について中期防衛戦略(: Mid-Term Defense Estimate)を開発した。陸上自衛隊については、これらの見積もりは対戦車、兵砲、陸対海火気、そして移動兵器を改善する新型の兵器と設備の調達を含んだ。海上自衛隊については、イージスシステムを備えた新型護衛駆逐艦SH-60J対潜水艦ヘリコプターの調達を伴った、その焦点は対潜水艦能力の向上であって、対地雷兵器と防空の改善だった。航空自衛隊への資金供給は戦闘機と救助ヘリコプターの調達に集中した。財政年度1986(昭和61)年から財政年度1990(平成2)年までの中期防衛戦略の総額費用は(1985(昭和60)年の為替相場でおおよそ32億合衆国ドルの)大よそ18,4兆円と見積もられた。

1989(平成元)年に、総歳出予算の6.49%の、或いはGDPの1.006%の3.9兆円の防衛予算が報告された。防衛庁自体に加えて、防衛施設管理局(: Defense Facilities Administration Agency)と安全保障会議に防衛予算は当てられた。防衛庁の資金拠出は陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊、内局(: internal bureaus)、職員協議会(: Joint Staff Council)、防衛大学校防衛医科大学 、防衛研究所(: National Institute for Defense Studies)、技術開発研究所(: Technical Research and Development Institute)、そして調達本部(: Central Procurement Office)をまかなった。

1990(平成2)年の防衛予算は、予想されたGDPの0.997%で、1987(昭和62)年に達したとき以来初めて1%の水準を切った。しかし4.1兆円以上の予算まだ財政年度1989(平成元)年を超える6.1%の増加を記録し、そして副次的に誘導ミサイルと通信技術についての資金供給を含んだ、研究と開発に要求された1040億円のすべてが実質的に与えられた。けれども何がしかの346億円は実験的なF-2戦闘機の、日本と米国の共同の研究開発のために数年にわたり認められた。この計画についての議論は、防衛庁が国内軍需産業の許容性を強化することそして自衛隊の構築のその分担割合を増加するのを確信を持つよう信じる事だった。始めに減額された後、資金は完全な中期防衛戦略に必要な30機の最新型戦車と最新のイージス多重標的装備駆逐艦の護衛のためにまた復活した。6.1%の防衛の増加は互角に大きい(8.2%の)政府開発援助での増額に伴った。防衛予算は1990年代初期の実際の期間に、1991(平成3)年の4.38兆円並びに1992(平成4)年の4.55兆円まで増加し続けたが、しかしGDPの1%よりも少なかった。

そのような動きが二国間の条約の改訂を要求するであろうことを主張する、日本が在日米軍の維持の費用の多くを支援するような事に、アメリカ合衆国が公式に合意する圧力に日本の公務員たちは抵抗する。けれども財政年度1989(平成元)年、日本国政府の寄与は、財政年度1990(平成2)年についての予定は28億合衆国ドルに増加した―防衛予算の総額の10%近くの―そして財政年度1990年の終わりになると日本政府は日本に駐留する合衆国の軍隊のための設備と建設物の維持費用の全ての費用を考慮に入れることを見込んだ。

冷戦終結以後[編集]

日本の防衛省によれば、2008(平成20)年の防衛予算は2007(平成19)年に記録した4.78兆円から0.8%少ない4.74兆円だった[2]。2007年1月9日をもって実施された防衛庁の防衛省への格上げによって国防の状況を強化するのを、与党である自民党が試みたにもかかわらず、このわずかな減少は起きた。[3]

脚注[編集]

  1. ^ (DW)
  2. ^ Japan Ministry of Defense home page. English-language version. http://www.mod.go.jp/e/data/pdf/071225.pdf [リンク切れ]
  3. ^ http://www.mod.go.jp/e/about/index.html

参考文献[編集]

関連項目[編集]