支那渡航婦女に関する件伺

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支那渡航婦女に関する件伺(しなとこうふじょにかんするけんうかがい)とは、1938年11月4日付で陸軍省から内務省に慰安婦の徴募と中国への送り出しの依頼を行ったもの。1996年12月に警察大学校から出てきた資料である[1][2][3]

本文[編集]

※下記の平仮名は原文では片仮名で記載

押印欄

 (秘)施行十一月八日

 昭和十三年十一月四日

           主任 印

 警保局長

   警務課長 印

     事務官 印

   外事課長 印

     事務官 印

本文

支那渡航婦女に関する件伺

本日南支派遣軍古荘部隊参謀陸軍航空兵少佐久門有文及陸軍省徴募課長より南支派遣軍の慰安所設置の為必要に付醜業を目的とする婦女約四百名を渡航せしむる様配意ありた しとの申出ありたるに付ては、本年二月二十三日内務省発警第五号通牒の趣旨に依り之を取扱ふこととし、左記を各地方廳に通牒し密に適當なる引率者(抱主)を選定、之を して婦女を募集せしめ現地に向はしむる様取計相成可然哉 追て既に台湾総督府の手を通じ同地より約三百名渡航の手配済の趣に有之

  記

一、内地に於て募集し現地に向はしむる醜業を目的とする婦女は約四百名程度とし、大阪(一〇〇名)、京都(五〇名)、兵庫(一〇〇名)、福岡(一〇〇名)、山口(五〇 名)を割當て県に於て其の引率者(抱主)を選定して之を募集せしめ現地に向はしむること

二、右引率者(抱主)は現地に於て軍慰安所を経営せしむるものなるに付特に身許確実なる者を選定すること

三、右渡航婦女の輸送は内地より台湾高雄まで抱主の費用を以て陰に連行し同地よりは大体御用船に便乗現地に向はしむるものとす。尚右に依り難き場合は台湾高雄広東間に 定期便船あるを以て之に依り引率者同行すること

四、本件に関する連絡に付ては参謀本部第一部第二課今岡少佐、吉田大尉之に當る 尚 現地は軍司令部峯木少佐之に當る。

五、以上の外 尚之等婦女を必要とする場合は必ず古荘部隊本部に於て南支派遣軍に対するもの全部を統一し引率許可證を交付する様取扱ふこととす(久門参謀帰軍の上直に 各部隊に対しこの旨示達す)

六、本件渡航に付ては内務省及地方廳は之が婦女の募集及出港に関し便宜を供與するに 止め、契約内容及現地に於ける婦女の保護は軍に於て充分注意すること

七、以上に依り且本年二月二十三日當局通牒を考慮し本件渡航婦女に対しては左記に依り各地方廳に於て取扱はしむること

(イ) 引率者(抱主)、現地に於ては責任ある経営者(抱主又は管理者)を必要とするに付、醜業を目的として渡航する婦女の引率者の身元は特に確実且相當数の醜業婦女 を引率し現地に到り軍慰安所を経営し得るものを選定すること

(前記の五項の途中から六、七項を清書したと思われる文書)

て南支派遣軍に対するもの全部を統一し引率許可證を交付する様取扱ふこととす(久門参謀帰軍の上直に各部隊に対しこの旨示達す)。

六、本件渡航に付ては内務省及地方廳は之が婦女の募集及出港に関し便宜を供與するに止め、契約内容及現地に於ける婦女の保護は軍に於て充分注意す

七、以上に依り且本年二月二十三日警保局長通牒を考慮し本件渡航婦女に対しては左記の如く前記各府県に通牒し之を取扱はしむること(不取敢電話し更に書面を発送するこ と)

内容[編集]

[4]南支派遣軍(第21軍)の古荘(幹郎・第21軍司令官)部隊の参謀である陸軍航空兵少佐久門有文と陸軍省徴募課長(小松光彦大佐)の両名から、南支派遣軍に慰安所を設置するために必要であるので、売春に従事する婦女約400名を渡航させるよう配慮いただきたいと申し出があり、伺いを立てている。同年2月23日付の内務省発警第5号通牒の趣旨にもとづいて、これを処理することとし、左の通牒を各府県に発し、内密に適当なる引率者(抱主=すなわち売春業者で慰安所の委託経営者)を選び、彼らに女性を募集させ、その引率のもとで現地に向かわせることにするのがいいと考えますがいかがでしょうか、というものである[5]

背景と関連資料[編集]

南支方面渡航婦女の取り扱いに関する件[編集]

この資料が起案文書となって、1938年秋に広東攻略のために華南に派遣された第21軍の求めに応じて、慰安婦要員となる女性約400名を華南に渡航させるよう命じた内務省警保局長の通牒「南支方面渡航婦女の取り扱いに関する件」(警保局警発甲第一三六号 昭和一三年一一月八日施行)が、大阪、京都、兵庫、福岡、山口各府県知事宛に出されている。

これについて、林博史は、慰安婦を徴集することが極秘扱いされただけでなく、「経営者の自発的希望に基く様取運び之を選定すること」を内務省警保局が大阪府など5府県知事に指示したものだとして、業者を裏で操っているのが軍と内務省であることを裏付ける資料であるとしている[1][6]

久門少佐の名刺[編集]

警察資料には、警保局に出された久門少佐の名刺が残っている。 久門少佐は、「慰安所で働く女性を約500名広東に派遣するよう斡旋をお願い申し上げます」と、内務省警保局長(現在の警察庁長官に相当)に依頼している[7]

久門少佐の名刺 表
久門少佐の名刺 裏


「南支派遣軍参謀   陸軍航空兵少佐 久門有文(花押)  警保局長閣下」

「娘子軍約五百名広東ニ御派遣方御斡旋願上候」

資料の発見[編集]

この資料は、1992年から93年にかけての政府調査によって発見されたものではない。その後1996年の吉川春子参議院議員による警察への資料請求の過程で偶然発見された6点の資料の内の一つである。警察庁から同時に提出された資料はこの他、

である。[8]

脚注[編集]

  1. ^ a b 林博史、金富子、石出法太著『教科書に書かれなかった戦争Part27「日本軍慰安婦」をどう教えるか』(梨の木舎)p120、121
  2. ^ 吉川春子『従軍慰安婦・新資料による国会論戦』P44~P45あゆみ出版
  3. ^ 『赤旗』1996-12-20「初めて警察庁から資料が出た」「内務省が業者の選定や各府県の人数の割り当ての指示を出し、極秘に集めさせた」
  4. ^ この項目は永井和(京都大学大学院文学研究科教授)によるブログ「永井和の日記」[1]のうち2007年5月21日「軍による調達の事実」[2]において投稿された文書から、本件記事の要約及び解説のために必要箇所引用した。
  5. ^ 永井和2007年5月21日「軍による調達の事実」[3]引用ここまで。文脈整合性のため部分改変してある。
  6. ^ 林博史、俵義文、渡辺美奈著『「村山・河野談話」見直しの錯誤 歴史認識と「慰安婦」問題をめぐって』(かもがわ出版)p22
  7. ^ http://ianhu.g.hatena.ne.jp/nagaikazu/20070521 永井和の日記
  8. ^ 吉川春子『従軍慰安婦・新資料による国会論戦』P44~P63あゆみ出版

文献資料[編集]

原文

関連項目[編集]