打田霞山

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打田 霞山(うちだ かざん、安政6年(1859年)‐昭和10年(1935年)4月8日)とは明治時代から昭和時代にかけての銅版画家、石版画家。

来歴[編集]

梅村翠山の門人。江戸本郷の生まれ。姓は打田、名は新太郎。霞山と号す。始め木版彫刻師の木村嘉平に師事して木版を学んだ後、16歳の時に翠山に入門、銅版を学び、明治5年(1872年)に海軍省水路局に入って銅版製作に当たった。師の翠山に勧められて水路局を辞し、渡米、石版画工のスモリックおよびポラードを伴って帰国、翠山の彫刻会社及び後の国文社に勤めた。後に霞山は日吉町に第二彫刻会社を設立した。墓所は多磨霊園

参考文献[編集]