戸川芳郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
戸川 芳郎
人物情報
生誕 (1930-08-27) 1930年8月27日
日本の旗 日本大阪府大阪市浪速区
出身校 東京大学京都大学
学問
研究分野 東洋史漢文学
研究機関 東京大学お茶の水女子大学東京学芸大学二松學舍大学
公式サイト
公式HP
テンプレートを表示

戸川 芳郎(とがわ よしお、1931年8月27日 - )は、日本中国思想学者。東京大学名誉教授二松學舍大学名誉教授。日本シャンチー協会前理事長。

経歴[編集]

出生から大学院修業[編集]

1931年、大阪市浪速区生まれ。1938年に大阪府立今宮中学校に入学し[1]、1950年に今宮高等学校を卒業した。

1951年、東京大学教養学部文科二類に入学。1953年に文学部中国文学科に進んで、1955年、東京大学文学部中国文学科を卒業。学生時代、山村工作隊などの共産主義運動に打ち込んでいた[2][3][4]。一方で、学生運動に対しては「プチブル」的なものとして蔑視していた[2]

卒業直後、父が死去したことから『新ラジオ公論』編集長となった。大阪の府立高校に勤務した後、1958年京都大学大学院中国哲学史専攻に入学し、重澤俊郎に師事した[5][6]。1963年、京都大学大学院博士課程を中退。

研究者として[編集]

1963年に退学後、東京大学教養学部助手に採用。1965年10月よりお茶の水女子大学専任講師。1967年1月に同校助教授に昇格。1972年、東京大学文学部助教授となり、中国哲学講座を担当した。1979年に同校教授に昇進。1987年から1989年まで、学部長を務め、1991年秋からは東京学芸大学教授を兼任。[7]1992年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は、それまで兼任していた東京学芸大学教授専任になる。1995年より二松學舍大学教授。

学界では、1991年から1992年まで日本中国学会理事長、2003年から2009年まで財団法人東方学会理事長を務めた。

研究内容・業績[編集]

家族・親族[編集]

  • 父:戸川二郎は編集者。ラジオ公論社の発行人ほか。

著作[編集]

著書[編集]

共編著[編集]

出典[編集]

  1. ^ 学制改革に伴い、1948年に今宮中学校は今宮高等学校になる。
  2. ^ a b 長谷川健治・秦玲子「戸川芳郎氏オーラル・ヒストリー 山村工作隊参加経験を中心に(1)」『横浜国立大学留学生センター教育研究論集』14号 p.191-216, 2007 NAID 40015402115
  3. ^ 長谷川健治・秦玲子「戸川芳郎氏聞き書き 戦後・山村工作隊・中国学(2)」『横浜国立大学留学生センター教育研究論集』15号 p.93-129, 2008 NAID 40015932893
  4. ^ a b 野口武則『元号戦記 近代日本、改元の深層』角川新書、2020年、232頁。ISBN 978-4040823782 
  5. ^ 戸川芳郎「わたくしの中国学」『中国:社会と文化』第18巻、2003年、234頁。 
  6. ^ 東京大学百年史 部局史1』東京大学出版会 1987 p.522
  7. ^ 戸川芳郎教授略年譜/History of Dr. Yoshio Togawa”. togawayoshio.com. 2020年11月6日閲覧。 ※高柳信夫・長谷部英一・古勝隆一・志野好伸作成「戸川芳郎教授略年譜」(東京大学中国哲学研究会『中国哲学研究』第4号、1992年)と同内容
  8. ^ 戸川芳郎「元號「平成」攷」『二松 : 大学院紀要』1997年。 

関連文献[編集]