慕容進

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慕容 進(ぼよう しん、生没年不詳)は、五胡十六国時代後燕の人物。

生涯[編集]

後燕に仕え、安昌侯に封じられていた。

390年9月、右北平郡の人の呉柱が1千余の衆を集め、沙門法長を天子に推した。右北平郡を破り、広平県に侵攻して白狼城に入った。幽州慕容隆広平郡太守・広平県令を先に帰らせて、継いで慕容進に百騎余で白狼城に向かわせた。呉柱の兵らはこれを聞いて壊滅、慕容進は呉柱を捕らえて殺害した。

建威将軍に任じられた。

396年7月、後燕に反乱を起こした征東将軍平規討伐のため、征北大将軍慕容隆が高唐に向かった。平規は高唐を棄てて逃走、慕容隆は慕容進に追撃を命じた。慕容進は済北で平規を討ち取った。

これ以後の事績は、史書に記されていない。

参考文献[編集]