忠岡町立忠岡小学校

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忠岡町立忠岡小学校
地図北緯34度29分22.7秒 東経135度23分37.7秒 / 北緯34.489639度 東経135.393806度 / 34.489639; 135.393806座標: 北緯34度29分22.7秒 東経135度23分37.7秒 / 北緯34.489639度 東経135.393806度 / 34.489639; 135.393806
過去の名称 伯太郷学校忠岡分校
泉州第七十四番小学校
泉郡公立忠岡小学校
泉郡忠岡簡易小学校
泉郡忠岡尋常小学校
泉北郡忠岡尋常小学校
泉北郡忠岡尋常高等小学校
泉北郡忠岡国民学校
忠岡町立小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 泉北郡忠岡町
設立年月日 1872年8月18日
共学・別学 男女共学
学校コード B127210009126 ウィキデータを編集
所在地 595-0813
大阪府泉北郡忠岡町忠岡南1丁目12-30
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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忠岡町立忠岡小学校(ただおかちょうりつ ただおかしょうがっこう)は、大阪府泉北郡忠岡町にある公立小学校

忠岡町の西部・南海本線以西の地域を校区とする。

沿革[編集]

忠岡村に1872年泉郡忠岡村・下馬瀬村・上馬瀬村[1]を校区とする伯太郷学校忠岡分校が設置されたことが、学校の起源となっている。翌1873年には、学制発布に伴って泉州第七十四番忠岡小学校が発足した。

1889年の町村制実施により忠岡村など4か村が合併して、町村制に基づく泉郡忠岡村(1896年泉北郡、1939年町制施行で忠岡町)となった。忠岡小学校は従来通り村西部の忠岡・馬瀬を校区とした。

村東部の北出・高月については、明治時代初期以来泉南郡八木尋常小学校(現在の岸和田市立八木小学校1876年創立)の校区となっていた。北出・高月は1914年になり忠岡小学校校区に編入され、忠岡村全域を校区とするようになった。

高等科は1893年以降、泉北郡大津村(現在の泉大津市)の大津尋常小学校[2]に委託していた。1925年に委託を解消し、忠岡小学校に高等科を併設している。

1947年学制改革に伴い、忠岡町立小学校の名称になった。1953年には忠岡町立東忠岡小学校を分離し、南海本線の線路以東を東忠岡小学校の校区に変更した。これに伴い、現在の校名・忠岡町立忠岡小学校へと変更している。

年表[編集]

  • 1872年8月18日 - 伯太郷学校忠岡分校を設置。
  • 1873年 - 泉州第七十四番小学校が開校。
  • 1875年11月 - 泉郡公立忠岡小学校に改称。
  • 1887年4月 - 泉郡忠岡尋常小学校に改編。
  • 1888年4月 - 泉郡忠岡簡易小学校に改編。
  • 1889年4月 - 泉郡忠岡尋常小学校に再改編。
  • 1896年4月1日 - 郡の合併により、泉北郡忠岡尋常小学校と称する。
  • 1914年4月 - 北出・高月を校区に編入。
  • 1925年4月 - 高等科を併設。泉北郡忠岡尋常高等小学校に改称。
  • 1934年9月21日 - 室戸台風で校舎倒壊。13教室が被害。
  • 1941年4月1日 - 国民学校令により、泉北郡忠岡国民学校に改称。
  • 1947年4月1日 - 学制改革により、忠岡町立小学校に改称。
  • 1953年4月1日 - 忠岡町立東忠岡小学校を分離。これに伴い忠岡町立忠岡小学校に改称。

通学区域[編集]

  • 泉北郡忠岡町 忠岡北1-3丁目、忠岡中1-3丁目、忠岡南1-3丁目、新浜1-3丁目。
卒業生は基本的に忠岡町立忠岡中学校に進学する。

交通[編集]

関係者[編集]

出身者[編集]

参考文献[編集]

  • 忠岡町『忠岡町史』1990年。 

脚注[編集]

  1. ^ 下馬瀬村・上馬瀬村は1875年に合併し、馬瀬村となる。
  2. ^ のちの泉大津市立戎小学校。現在の泉大津市戎町にあった。2006年泉大津市立宇多小学校と統合して廃校し、旧宇多小学校敷地に(新)泉大津市立戎小学校を設置。
  3. ^ 週刊ベースボール』2006年9月18日号20頁「「06年世代」を代表するBIG6 前田健太[PL学園高] 偉大なる先輩の後を追うセンス抜群の“桑田二世”」(ベースボール・マガジン社

関連項目[編集]

外部リンク[編集]