崔恵妃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

恵妃崔氏(けいひ さいし、洪武28年10月8日1395年11月20日) - 永楽22年7月18日1424年8月12日))は、永楽帝の妃。朝鮮の人。

経歴[編集]

籍貫は畿内左道の水原府。中軍副司正崔得霏の娘として生まれた。

永楽6年(1408年)、明に献上されて後宮に入り、美人となった。父の崔得霏は明の五品鴻臚少卿に任じられた。

永楽19年(1421年)、永楽帝が後宮の者たちの大量処刑を行った際、南京で療養中のため巻き込まれずにすんだ。永楽22年7月18日(1424年8月12日)、永楽帝の崩御により崔氏は殉死を命じられ、康靖荘和恵妃諡号が贈られた。

伝記資料[編集]

脚注[編集]