峠の釜めし

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峠の釜めし

峠の釜めし(とうげのかまめし)は、群馬県安中市にある「荻野屋」が製造・販売する駅弁である。

益子焼の土釜に入れられているという点が特徴の駅弁で[1]、「日本随一の人気駅弁」と評されたこともある[1]。2023年6月時点での累計販売数は1億8000万個を超える[2]

商品概要[編集]

峠の釜めし

直径140mm、高さ85mm、重量725gの益子焼に入った薄い醤油味の出汁による炊き込みご飯である。

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栃木県芳賀郡益子町の窯元つかもとで製造されており、釜の上半分の上薬が塗ってある茶色の部分に「横川駅」「おぎのや」という文字が刻まれている。釜の上には厚さ5mmほどの素焼きの蓋が付いており、さらにその上に包装紙が被せられ、紐で割り箸とともにくくりつけてある。

この釜を持ち帰れば家庭でも実際に1合の御飯を炊くことができ、おぎのやの公式サイトでも炊き方が紹介されている[3]

食べ終わった容器(釜)は、不要な場合はおぎのやの各店舗に持ち込めば回収してくれる。一部店舗では、空容器の回収ボックスもある。

  • 店舗内で供された物のうち一部の容器は洗浄後に再利用されるほか、リサイクルも進められている[注釈 1]
  • 近年は益子焼の釜の代わりにエコ容器(パルプモールド容器)を利用した商品も一部店舗で販売されている。[4]

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鶏肉ささがき牛蒡椎茸ウズラの卵・グリーンピース紅しょうが[5]

歴史[編集]

荻野屋の創業と初期の駅弁[編集]

1885年荻野屋が創業され、信越本線高崎駅 - 横川駅の部分開業時[注釈 2]に創業した[6]。初期の駅弁はおにぎり二個に沢庵漬けを添えたもので、1包み5銭であった[1]

「峠の釜めし」の誕生[編集]

戦後、旅行者数も増加していったが、この頃の駅弁はどこも似たような内容だったため、人気は低迷していた[1]。荻野屋も例外ではなく、全列車が横川 - 軽井沢間の碓氷峠通過に際し、補助機関車の連結が必要なために長時間停車する駅という立地にもかかわらず、業績が低迷していた[1]。そこで、当時の4代目社長であった高見澤みねじは停車中の列車に乗り込み、旅行者に駅弁に対する意見を聞いて回った[1]。意見の大半は「暖かく家庭的で、楽しい弁当」というものだった[1]

高見澤と、当時社員で後に副社長となる田中トモミ[注釈 3]は、その意見をどのようにして駅弁に反映するかを考え、弁当と一緒に販売する緑茶の土瓶に着目した[1]。当時の駅で販売されていた緑茶の土瓶は、陶器製であったが、陶器は保温性にも優れていた上に匂いも移らない[1]ため、「暖かい」「楽しい」という要望を満たしていた。さらに「中仙道を越える防人が土器で飯を炊いた」という内容の和歌にヒントを得て[1]、益子焼の職人に相談し、一人前用の釜を作成させた[注釈 4]

こうして、当時の「駅弁は折り詰め」という常識を破り[1]1958年2月1日から販売が開始されたのが「峠の釜めし」である[1][注釈 5]

当時としては画期的だった温かい駅弁であった[注釈 6]ことや、『文藝春秋』のコラムに取り上げられたことから徐々に人気商品となり、その後の隆盛へとつながるきっかけとなった。1967年には、フジテレビジョンテレビドラマ釜めし夫婦』(池内淳子主演)のモデルにもなった。

鉄道以外での販売展開[編集]

この時期前後からモータリゼーションの進展を受けて、各地の駅弁業者は軒並み苦戦を強いられるようになったが、同社では、1962年に、これを逆手にとり、国道18号沿いに「峠の釜めしおぎのやドライブイン横川店」を開業。釜めしなどの商品を利用客に販売することで、鉄道への依存を減らし、現在の同社の販売戦略の基礎となった。1987年時点での1日平均の販売実績は1万個[1]で、多いときには2万5千個の売り上げがあったという[1]。このうち、駅弁としての販売比率は40%ほどであった[1]。もちろん列車での売り上げも多く、3分停車でホームにあった410個が全て売れたこともあったという[9]

横川 - 軽井沢間廃止の影響[編集]

北陸新幹線東京 - 長野間先行開業に伴い、1997年9月30日に信越本線の横川 - 軽井沢間が廃止された。これにより、横川駅での販売量は往時に比べて低い割合に転位したが、代わって新幹線車内での販売を開始するなどテコ入れが図られた。

60周年[編集]

発売60周年を記念し、浮世絵風かけ紙を2018年2月に導入した。また、鴨肉を使うなどした豪華版(1500円)を荻野屋直営ドライブイン限定で2019年1月末まで販売した[10]

上越新幹線40周年記念釜めし[編集]

2022年11月15日、上越新幹線開業40周年を記念した「上越新幹線40周年記念釜めし」が発売。高崎駅社員がデザインしたオリジナル記念掛け紙が用いられ、釜の縁の色は茶色から上越新幹線で活躍した200系電車をモチーフにした緑色に変更されている。製造は荻野屋、販売はJR東日本クロスステーションが行う[11]

販売店舗[編集]

2022年時点の購入可能店[12][13]

横川サービスエリア店

また、百貨店スーパーマーケットが開催する「駅弁フェア」などのイベントの定番商品として、日本全国に出荷実績があり、上記以外でのJR東日本鉄道駅構内でのスポット販売の実績もある。

関連商品[編集]

2007年に横川 - 軽井沢間廃止10周年として鉄道模型メーカーの関水金属からNゲージで峠の釜めしの駅構内販売用ワゴンと販売員を模した人形が発売された。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 状況により粉砕して別の材料(路面の舗装の骨材など)になる場合もある。
  2. ^ 信越本線高崎 - 直江津間全通はその8年後の1893年
  3. ^ 現在全国で講演活動を行っており、1988年に「天からの贈り物」で日本エッセイストクラブ賞を受賞。
  4. ^ 一方で益子焼も需要減の打開策として試作していた釜めし用の容器を売り込みに回る旅の途中、おぎのやの目に留まって採用されたことが製造元で紹介されており[7]、そのエピソードはワイドショーでも取り上げられた。[8]
  5. ^ 前年の1957年から試作を繰り返しており、発売前に厚生大臣賞を受賞したという記録が残っている
  6. ^ 荻野屋の工場は横川駅に隣接しており、完成した駅弁を工場からそのまま駅へ持ち込むことが可能だった(山本 (1987) p.63)。
  7. ^ 営業期間は4月25日 - 11月30日。
  8. ^ JR東日本クロスステーションが販売している。
  9. ^ 鮮度を維持させるため、高崎・軽井沢の両駅に停車する列車のみ販売している。日本レストランエンタプライズが販売している。かつては、あさまでも販売していた(2016年に販売サービスが終了)。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 山本 (1987) p.63
  2. ^ 荻野屋、駅弁の「峠の釜めし」100円値上げ日本経済新聞、2023年6月29日。
  3. ^ 空き釜を利用したご飯の炊き方 | 荻野屋”. 峠の釜めし本舗おぎのや. 2021年1月17日閲覧。
  4. ^ 峠の釜めし(エコ容器) | 荻野屋”. 峠の釜めし本舗おぎのや (2019年12月20日). 2020年8月30日閲覧。
  5. ^ 山本 (1987) p.64
  6. ^ 山本 (1987) p.62
  7. ^ 益子焼とつかもと|益子焼のつかもと「栃木県益子町最大の窯元」”. つかもと. 2020年2月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年1月17日閲覧。
  8. ^ テレビ朝日 | モーニングショー 日替わりコーナー「情熱を未来へ 継ぐ女神」 - 塚本純子(84) 栃木・益子町で153年続く益子焼窯元“つかもと”6代目”. テレビ朝日 (2017年12月27日). 2018年1月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年1月17日閲覧。
  9. ^ 山本 (1987) p.65
  10. ^ 峠の釜めし「還暦」仕様/荻野屋、発売60周年で豪華版『日経MJ』2018年3月23日(フード面)
  11. ^ JR東日本ニュース”. JR東日本 (2022年11月2日). 2022年11月12日閲覧。
  12. ^ 店舗一覧 | 荻野屋”. 峠の釜めし本舗おぎのや (2020年1月5日). 2022年7月5日閲覧。
  13. ^ 峠の釜めし販売店舗 | 荻野屋”. 峠の釜めし本舗おぎのや (2019年12月8日). 2022年7月5日閲覧。
  14. ^ 「峠の釜めし」キッチンカーが登場 長野市”. 信濃毎日新聞 (2022年6月24日). 2022年6月26日閲覧。

参考文献[編集]

雑誌記事[編集]

外部リンク[編集]