岩城秀哉

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いわき ひでや
岩城 秀哉
本名 中家 秀一 (なかや ひでかず)
別名義 岩城 秀雄 (いわき ひでお)
生年月日 (1895-10-02) 1895年10月2日
没年月日 不詳年
出生地 日本の旗 日本 兵庫県神戸市山本通(現在の同県同市中央区
職業 俳優
ジャンル 新派新国劇劇映画時代劇剣戟映画サイレント映画
活動期間 1917年 - 1930年
主な作品
戦国時代 第一篇
日光の円蔵
駕籠の先生
三千石
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岩城 秀哉(いわき ひでや、1895年10月2日 - 没年不詳)は、日本の俳優である[1][2][3][4][5][6]。本名は中家 秀一(なかや ひでかず)[1][2][3][4]。旧芸名は岩城 秀雄(いわき ひでお)[6]

来歴・人物[編集]

1895年(明治28年)10月2日兵庫県神戸市山本通(現在の同県同市中央区山本通)に生まれる[1][2][3][4][5][6]関西学院中学部卒業後、早稲田大学英文科に進学する[1][2][3][4]

早稲田大学2年修了(中退)後、海運業輸出部主任を務めていたが、1917年(大正6年)、岩城秀雄という芸名で新国劇創立と共に同劇団に入団[1][2][3][4][6]。以降、主に端役・脇役として出演するが、1922年(大正11年)頃からは岩城秀哉と改名して活動している[6]。1924年(大正13年)1月、帝国キネマへ入社[1][2][3][4][6]。同年2月7日に公開された佐藤紅緑原作の松本英一監督映画『大盗伝』や、同年4月2日に公開された若山治監督映画『肉弾』など、悪役俳優として活躍していたが、出演配役に岩城の名前は見当たらず、岩城自身も少々不平があったようである[1][4]

1924年(大正13年)秋、東亜キネマ甲陽撮影所に移籍する[1][2][4][6]。同年10月1日公開の山本嘉次郎監督映画『断雲』で主演高木新平の敵役として戦国の梟雄・股野弾正を演じ活躍する[1][2][4][6]。当時、彼は「大猛闘劇、大活劇に出演したい」と語っていたというが、1927年(昭和2年)3月に退社するまで牧野省三(1878年 - 1929年)の下で精悍なマスクを生かして大活躍する[1][6]武井龍三(1905年 - 1964年)と組んだ同年9月4日公開の金森万象監督映画『奇傑鬼鹿毛』や、月形龍之介(1902年 - 1970年)と組んだ翌1926年(大正15年)9月24日公開の勝見正義監督映画『仇討奇譚 勝鬨』など多数の出演作品がある[1]。退社後はフリーとなり、1927年(昭和2年)6月10日に日本映画プロダクションが製作した志波西果監督、市川市丸主演映画『宣戦布告』で近藤勇を好演している[1][2][6]

1929年(昭和4年)、河合映画製作社に移籍する[6]。ところが、翌1930年(昭和5年)6月13日に公開された丘虹二監督映画『清川八郎』以降の出演作品が見当たらず、以後の消息は不明である[1][2][5][6]。トーキー作品への出演は1作もなく、出演作品はすべてサイレント映画であった。没年不詳

出演作品[編集]

新国劇[編集]

現存する新国劇の関連資料から、上記の人物が実際に出演した演目を記載した[7]。ただし、劇団創立当初及び戦争末期の一部記録、並びに地方公演の記録は現存していない[7]

帝国キネマ芦屋撮影所[編集]

全て製作は「帝国キネマ芦屋撮影所」、配給は「帝国キネマ」、全てサイレント映画である。

東亜キネマ甲陽撮影所[編集]

全て製作は「東亜キネマ甲陽撮影所」、配給は「東亜キネマ」、全てサイレント映画である。

東亜キネマ等持院撮影所[編集]

全て製作は「東亜キネマ等持院撮影所」、配給は「東亜キネマ」、全てサイレント映画である。

東亜マキノ等持院撮影所[編集]

特筆以外、全て製作・配給は「東亜マキノ等持院撮影所」、全てサイレント映画である。

マキノ・プロダクション御室撮影所[編集]

特筆以外、全て製作は「マキノ・プロダクション御室撮影所」、配給は「マキノ・プロダクション」、全てサイレント映画である。

河合映画巣鴨撮影所[編集]

全て製作は「河合映画巣鴨撮影所」、配給は「河合映画製作社」、全てサイレント映画である。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 『日本映画俳優全集 男優篇』キネマ旬報社、1979年、71頁。 
  2. ^ a b c d e f g h i j 『芸能人物事典 明治大正昭和』 日外アソシエーツ、1998年、74頁。
  3. ^ a b c d e f 『映画新研究十講と俳優名鑑』朝日新聞社、1924年、169頁。 
  4. ^ a b c d e f g h i 『日本映画年鑑 大正13年・14年』東京朝日新聞発行所、1925年、177頁。 
  5. ^ a b c 『日本人物レファレンス事典 芸能篇1 (映画・演劇・タレント)』日外アソシエーツ、2014年。 
  6. ^ a b c d e f g h i j k l 『日本映画興亡史 マキノ一家』ワイズ出版、2000年、23頁。 
  7. ^ a b c 『新国劇七十年栄光の記録』新国劇記録保存会、1988年、290-869頁。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]