岡崎晴夫

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おかざき はるお
岡崎 晴夫
岡崎 晴夫
1928年の写真、満24歳。
本名 川端 淸次 (かわばた きよつぐ)
別名義 岡崎 春夫
生年月日 1904年3月
没年月日 不詳年
出生地 日本の旗 日本 京都府京都市上京区大将軍
職業 俳優
ジャンル 新劇劇映画時代劇剣戟映画サイレント映画トーキー
活動期間 1920年代 - 1937年
主な作品
斬人斬馬剣
修羅八荒 第三篇
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岡崎 晴夫(おかざき はるお、1904年3月 - 没年不詳)は、日本の俳優である[1][2][3][4]。本名は川端 淸次(かわばた きよつぐ)[1][2][3][4]岡崎 春夫と表記に揺れがある[1][2]。戦前、日活大将軍撮影所の時代劇を中心に活躍した名脇役である[3][4]

来歴・人物[編集]

1904年(昭和37年)3月京都府京都市上京区大将軍に生まれる、とされている[1][2]。1928年(昭和3年)に発行された『日本映画俳優名鑑 昭和四年版』(映画世界社)及び1929年(昭和4年)に発行された『日本映画俳優名鑑 昭和五年版』(同社)では、生年は「明治三十六」(1903年)である旨が記されている[3][4]。また、1998年(平成10年)に発行された『芸能人物事典 明治大正昭和』(日外アソシエーツ)によれば、出生地は京都府相楽郡木津町(現在の同府木津川市木津)の説もあるという[2]

東京電機学校(現在の東京電機大学)卒業後、日本映画俳優学校に進学する[1][2][3][4]。同学校卒業後は、大阪府にあった文楽座を経て新劇界の舞台を転々としながら宣伝映画に出演する[1][2][3][4]。1925年(大正14年)9月、日活大将軍撮影所に入社し、以後中堅俳優として、翌1926年(大正15年)4月15日に公開された辻吉郎監督映画『修羅八荒 第三篇』など、多数の作品に活躍した[1][2][3][4]。その後、都合により退社して再び舞台俳優として活動する[4]

1929年(昭和4年)9月、松竹下加茂撮影所に移籍[1][2][4]。同年同月20日に公開された伊藤大輔監督映画『斬人斬馬剣』などに出演するが、再び舞台に戻った後、日活太秦撮影所に移籍する[1][2]。ところが、1937年(昭和12年)8月25日に公開された今井映画製作所製作の下村健二監督映画『怪奇 江戸川乱山』以降の出演作品が見当たらず、以後の消息は不明である[1][2]没年不詳

出演作品[編集]

日活大将軍撮影所[編集]

特筆以外、全て製作は「日活大将軍撮影所」、配給は「日活」、全てサイレント映画である。

日活太秦撮影所[編集]

特筆以外、全て製作は「日活太秦撮影所」、配給は「日活」、全てサイレント映画である。

松竹下加茂撮影所[編集]

特筆以外、全て製作は「松竹下加茂撮影所」、配給は「松竹」、全てサイレント映画である。

日活京都撮影所[編集]

特筆以外、全て製作は「日活京都撮影所」、配給は「日活」、以降全てトーキーである。

今井映画製作所[編集]

全て製作は「今井映画製作所」、配給は「東宝映画」である。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j 『日本映画俳優全集 男優篇』キネマ旬報社、1979年、115頁。 
  2. ^ a b c d e f g h i j k 『芸能人物事典 明治大正昭和』日外アソシエーツ、1998年、94頁。 
  3. ^ a b c d e f g 『日本映画俳優名鑑 昭和四年版』映画世界社、1928年、27頁。 
  4. ^ a b c d e f g h i 『日本映画俳優名鑑 昭和五年版』映画世界社、1929年、32頁。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]