山田精一

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山田 精一(やまだ せいいち、1908年6月19日 - 1991年2月13日)は、日本官僚公正取引委員会委員長を務めた。

来歴・人物[編集]

東京都出身[1]1931年東京帝国大学法科を卒業し、同年に日本銀行に入行[1]

1959年6月から1966年6月までに理事を務め、1967年8月から1969年11月までに公正取引委員会委員長を務めた[1]。公正取引委員会委員長在任時には、八幡製鉄富士製鉄との合併を一部部門の分離を条件に認定した[2]

1978年11月に勲二等旭日重光章を受章[1]

1991年2月13日呼吸不全のために死去[2]。82歳没。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 人事興信所 1985, や177頁.
  2. ^ a b 1991年 2月14日 日本経済新聞 朝刊 P35

参考文献[編集]

  • 人事興信所 編『人事興信録 第33版 下』人事興信所、1985年。