山本二三

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やまもと にぞう
山本 二三
生年月日 (1953-06-27) 1953年6月27日
没年月日 (2023-08-19) 2023年8月19日(70歳没)
出生地 日本の旗 日本長崎県福江市
(現五島市
死没地 日本の旗 日本埼玉県飯能市
職業
ジャンル テレビアニメアニメ映画
主な作品
テレビアニメ

映画
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山本 二三(やまもと にぞう、1953年6月27日 - 2023年8月19日) は、日本アニメーション美術監督アニメーション監督。背景美術会社、絵映舎(かいえいしゃ)代表。京都造形芸術大学アニメディレクションコース客員教授東京アニメーションカレッジ専門学校講師などを務めた[1]長崎県五島市(旧福江市)出身[2]。五島市ふるさと大使[3]

人物・来歴[編集]

長崎県五島市出身[1]。中学卒業後、岐阜県の高校で建築絵画を学んだのち上京、 東京デザイナー学院(現東京ネットウエイブ)に進学する[2][1]。在学中からアニメーションの美術スタジオで働き始め、背景画の仕事を手掛けるようになる[2][1]。この頃は『サザエさん』や『マジンガーZ』などの背景を担当したといい、『サザエさん』は月に200枚前後の背景を描いてたという。

学院を卒業後は東映系の美術スタジオを経て、日本アニメーションに入社。宮崎駿が演出したテレビアニメ『未来少年コナン』で初めて美術監督をつとめる。

テレコム・アニメーションフィルムに移籍し、『ルパン三世 カリオストロの城』で背景、映画『じゃりン子チエ』で美術監督を務める[4]

1985年、宮崎駿に誘われ、『天空の城ラピュタ』の制作に参加するためにスタジオジブリに入る[注 1][5]。その後も高畑勲や宮崎駿の作品の多くに美術監督や背景として参加する[2][1]

2006年、アニメ映画『時をかける少女』で第12回AMD Award'06大賞/総務大臣賞を美術監督として受賞[2]。また『時をかける少女』では、監督の細田守の「『天空の城ラピュタ』のあの雲を表現してほしい」という要望で、作品を印象付ける夏の青空を背景とした特徴的な雲を描いた[2]。以降、その迫力ある独特の雲の描き方が注目され、「二三雲」と呼ばれるようになる[注 2][2]

2007年フジテレビ土曜プレミアムにて放送された『ミヨリの森』で長編初監督[2]

2011年7月から9月まで、神戸ビエンナーレ2011 プレイベント「日本アニメーション美術の創造者 山本二三展」が開催され、来場者約8万5千人を記録[2]

2018年7月1日、福江島に山本二三美術館が開館した[6]

2023年8月19日埼玉県飯能市の自宅で胃がんのため死去[7]。70歳没。

主な作品[編集]

公式サイトより[8]

テレビアニメ[編集]

アニメ映画[編集]

実写映画[編集]

OVA[編集]

ゲーム[編集]

ミュージック・ビデオ[編集]

画集[編集]

  • アニメージュ編集部『The art of RAPUTA』徳間書店〈ジブリTHE ARTシリーズ (7)〉、1986年11月1日。ISBN 4-19-816610-2 
  • 山本二三『山本二三画集 フィルムからの言葉』角川書店、1993年11月26日。ISBN 4-04-852462-3 
  • スタジオジブリ責任編集『The art of The Princess Mononoke』徳間書店〈ジブリTHE ARTシリーズ〉、1997年8月20日。ISBN 4-19-810002-0 
  • 山本二三『山本二三背景画集』廣済堂出版、2012年2月23日。ISBN 4-33-151601-6 
  • 山本二三『山本二三 風景を描く』美術出版社、2013年7月23日。ISBN 4-56-838905-4 

出演[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 雲のシーンがあるので、何か面白いことが出来るのではと思い、参加を決めた。
  2. ^ 描くようになったきっかけは宮崎駿演出の『未来少年コナン』だった。乗り物で空を飛ぶシーンが多い作品だったので、たくさん雲を描いていた。マルチプレーンという車窓の風景のように手前のものが早く動いて見える技術があり、宮崎から「積乱雲を何枚か重ねて雲の流れを表現してくれ」と言われたりした[2]

出典[編集]

参考文献[編集]

外部リンク[編集]