山川修身

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山川 修身(やまかわ おさみ)こと 沈 敬変(シム・キョンピョン、: 심경변, 1920年 - 1997年7月10日)は、在日韓国・朝鮮人のヤクザ。指定暴力団稲川会傘下組織である山川一家の創設者。三代目稲川会では最高顧問を務めた。

来歴[編集]

1920年(大正9年)、東京都荒川区南千住で生まれる。少年時代から不良であり、浅草では同じ不良同士のグループに加入していた。その後、兄の影響で北海道に転居し、炭鉱労働者となった[1]

1945年(昭和20年)の終戦後に東京へ戻ると、東京市蒲田区(現在の大田区蒲田)を拠点に愚連隊を結成する[1]。やがて山川は多摩川を越えて川崎へ進出し、勢力拡大に成功。1958年(昭和33年)には山川は80人以上を率いる集団の頭領となっていた。程なくして、稲川組(当時)幹部の井上喜人と出会ったことが縁となり、山川は愚連隊を率いて稲川聖城の傘下に入る。この時結成した組織を山川一家と名付けた。

山川は稲川会で重用され、1990年(平成2年)に稲川会三代目体制が発足すると理事長に就任し、1992年(平成4年)10月には稲川会名誉顧問に就任した。同年、清田次郎に山川一家の跡目を譲っている[2]

1997年(平成9年)7月10日に死去。葬儀は同月15日に横浜市鶴見区總持寺で執行された[1]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c 『実話時代 2008年4月号』p.18-19 三和出版
  2. ^ 『実話時報 2012年1月号』 “稲川会 三代目山川一家 大軍団の全貌 山川修身 初代総長” (特別付録) 2011年12月14日 竹書房

関連項目[編集]

外部リンク[編集]