尾張国造

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尾張国造(おわりのくにのみやつこ・おわりこくぞう)は、尾張国を支配した国造。尾治国造とも。

概要[編集]

祖先[編集]

氏族[編集]

尾張氏(おわりうじ、)。天武天皇13年(684年)に宿禰を賜った。ヤマト政権との関わりは古く、孝昭天皇世襲足媛崇神天皇大海媛日本武尊宮簀媛継体天皇目子媛などを后妃を輩出し、全国の国造家の中でも屈指の勢力を誇った。断夫山古墳白鳥古墳などは一族の墓と推定されている。奈良時代以降も繁栄し、中央官人になる者や、尾張国内の郡司に任じられる者も多かった。

本拠[編集]

国造の本拠は尾張国年魚市郡

支配領域[編集]

国造の支配領域は当時尾張国と呼ばれた地域で、現在の愛知県名古屋市瀬戸市豊明市日進市東郷町長久手市にあたる。北部の尓波県主や中島県主の領域を除く地域。5~6世紀には尾張全域を支配した。『記紀』などに伝えられる古代の尾張国は、ヤマト王権の領土としての様子が綴られている。尾張の代表的神社で国造奉斎社である熱田神宮は、三種の神器の一つ・草薙剣(天叢雲剣)を祀っていることで有名である。倭姫命伊勢神宮に関わる伝説には尾張も含まれていて、文化的にも尾張は畿内や近江伊勢の影響が強い。

氏神[編集]

国造の奉斎社は熱田神宮。神宮の大祝・大宮司家は尾張国造の後裔で、子孫の千秋氏は女系で繋がっている。

関連神社[編集]

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尾張国造の領域で最古の古墳は愛西市(旧海部郡佐織町)の奥地社古墳(径25メートルの円墳)とされている。墳頂に奥津神社が所在し、神社所蔵の3面の三角縁神獣鏡椿井大塚山古墳出土の銅鏡と同笵鏡関係にあることが判った。このことから4世紀前期の古墳であると推定できる。また、北部の犬山市の白山平(標高142メートル)の頂上に築造された前方後方墳の東之宮古墳(墳丘長78メートル、国の史跡)が所在し、副葬品の中に11面の銅鏡があり、そのうちに三角縁神獣鏡があった。これら尾張の古墳の築造時期や形式から白鳥塚古墳が初代国造の乎止与命を、尾張戸神社古墳が乎止与命の妻を、東之宮古墳が次代国造の建稲種命を、兜山古墳美夜受比売をそれぞれ埋葬したものと見られる[1]

人物[編集]

  • 乎止与命(おとよのみこと)
    成務朝の初代尾張国造。
  • 建稲種命(たけいなだねのみこと)
    建伊那陀宿禰とも。景行天皇・成務天皇朝の廷臣。乎止与命の子で、宮簀媛の兄。
  • 尾綱根命(おつなねのみこと、尾綱連)
    応神朝の大臣で国造。建稲種命の子で、姪3人が応神天皇に嫁ぎ、尾張連姓を賜った。
  • 弟彦連(おとひこのむらじ)
    仁徳朝の国造。

一族[編集]

子孫[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 宝賀寿男墳丘上に神社がある古墳」『古樹紀之房間』、2015年。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]