小高長三郎

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小高長三郎

小高 長三郎(おだか ちょうざぶろう、1890年明治23年)11月19日[1]1958年昭和33年)3月26日[2])は、衆議院議員立憲政友会)、外務参与官ジャーナリスト

経歴[編集]

千葉県武射郡蓮沼村(現在の山武市)出身。1910年(明治43年)、大倉商業学校(現在の東京経済大学)を卒業[3]。自由通信社に入社し、外交部長、支配人、社長を歴任した[3]

1932年(昭和7年)、第18回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、第21回衆議院議員総選挙まで4回連続当選を果たした。その間、米内内閣で外務参与官を務めた。

大政翼賛会の推薦議員のため公職追放となった[4]

また『立憲政友会史』『立憲政友会報国史』の編纂に携わった[3]

栄典[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 衆議院『第七十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1936年、11頁。
  2. ^ 『新訂政治家人名事典』
  3. ^ a b c 『衆議院要覧』
  4. ^ 『朝日新聞』1946年2月10日一面「追放該当者氏名」
  5. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献[編集]

  • 『衆議院要覧(乙) 昭和十七年十一月』衆議院事務局、1942年。 
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。