宮田又三郎

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宮田 又三郎(みやた またさぶろう、1898年2月25日[1] - 1985年8月9日)は、日本実業家で、西日本鉄道社長を務めた。

来歴・人物[編集]

佐賀県佐賀市出身[1]1920年長崎高等商業学校(現・長崎大学経済学部)を卒業し、東邦電力(現・九州電力)での勤務を経て、西日本鉄道の前身である福博電車に入社した[1]

帝国大学出身者が学閥を組んで経営の中心となっていた西鉄の中で、高商卒の宮田はまさに「叩き上げ」で出世していく。常任監査役、常務、専務を経て、1960年から1963年11月までに社長を務めた[1]。在任中に西鉄ライオンズのオーナーも務めた[2]

西鉄不動産筑豊電気鉄道大分交通テレビ西日本福岡スポーツセンターなどの各取締役を歴任した[1]

1961年藍綬褒章を受章した[1]

1985年8月9日急性心不全のために死去[3]。87歳没。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 人事興信所 1981, み162頁.
  2. ^ 1985年8月10日 読売新聞 朝刊 p23
  3. ^ 1985年8月10日 日本経済新聞 朝刊 p27

参考文献[編集]

  • 人事興信所 編『人事興信録 第31版 下』人事興信所、1981年。 
先代
野中春三
西日本鉄道社長
第8代:(1960年1963年
次代
楠根宗生