安中城

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安中城
群馬県
城郭構造 平城
天守構造 不明
築城主 安中重繁
築城年 1559年永禄2年)
主な城主 安中氏
廃城年 1590年天正18年)
遺構 空堀、土塁、土橋
指定文化財 史跡等未指定[1]
位置 北緯36度19分45.7秒 東経138度53分48秒 / 北緯36.329361度 東経138.89667度 / 36.329361; 138.89667 (安中城)座標: 北緯36度19分45.7秒 東経138度53分48秒 / 北緯36.329361度 東経138.89667度 / 36.329361; 138.89667 (安中城)
地図
安中城の位置(群馬県内)
安中城
安中城
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安中城(あんなかじょう)は、群馬県安中市安中にあった戦国時代日本の城

略史[編集]

永禄2年(1559年)、上野国碓氷郡安中に、山内上杉家方の安中氏安中重繁によって、松井田城と連携する城として築城された。

永禄5年(1562年)9月、安中重繁武田氏に降伏し武田家上野先方衆に組み入れられる。城は対後北条氏の最前線の城となった。

天正10年(1582年)3月、織田・徳川連合軍の武田領侵攻(甲州征伐)により、上野国を鎮撫した織田勝長が入城した。

天正18年(1590年)に小田原征伐により安中城は攻められ廃城となる。

天正18年(1590年徳川家康関東の地に入封。

慶長19年(1614年)、井伊家が入封し、安中城は改築された。

安中藩は井伊家2代(3万石)、のち水野家2代(2万石)、堀田家1代(2万石→4万石)、板倉家2代(2万石)、内藤家2代(2万石)、再び板倉家6代(2万石→3万石)と続き、板倉主計守勝殷の時に明治維新を迎えている。歴代藩主の中で著名なのは堀田正俊板倉勝清であり、それぞれ老中を勤めている。

遺構[編集]

遺構として、専門家の検証はなされていないが、市内熊野神社に城門が1棟、民家に城門が都合それぞれ2棟、そして市内民家に武器庫が現存している。

脚注[編集]

関連項目[編集]