妻鳥采女

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妻鳥采女
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 不明
別名 友春、光家
墓所 愛媛県四国中央市寒川の大倉山
主君 河野氏長宗我部元親
氏族 妻鳥氏
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妻鳥 采女(めんどり うねめ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将伊予国川之江川之江城主。

略歴[編集]

長宗我部元親に内通し、河野氏に反旗を翻す。その後、河野氏の直命を受けた河上安勝が手薄だった川之江城を攻め落城。その時、一族の約50名が殺される[1]天正13年(1585年)までは生存していたものと考えられる。

また、「…伊予の国の住人、目高(妻鳥)采女亮(正)友春と云う武者、翔鳥をも射る鉄砲の上手なれば…」とある[2]

妻鳥「めんどり」の名は、四国中央市妻鳥町として残っている。

出典[編集]

  1. ^ 『伊予三島市史(上)』
  2. ^ 『三好記』