太十郎

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太十郎の生家の直近(室浜)2010年9月

太十郎(たじゅうろう、明和8年(1771年) - 文化3年4月1日1806年5月18日))は、江戸時代の船乗り。多十郎、または奥田太十郎、奥田多十郎とも表記されることがある[1][2]

1771年陸奥国桃生郡深谷室浜(現・東松島市室浜)(北緯38度20分5.9秒 東経141度10分0.3秒 / 北緯38.334972度 東経141.166750度 / 38.334972; 141.166750 (太十郎の生誕地/地図)) で生まれる。

御用米を運ぶ千石船若宮丸の船乗りとして、1793年江戸に向けて石巻港を出発。津太夫儀兵衛、左平らと共に洋上で嵐に遭遇して漂流の後、紆余曲折を経てロシアバルト海ハワイを経由して1804年に長崎へ帰着。その年の12月、長崎で自殺未遂を起こす。

太十郎の生家跡・東日本大震災で被災

何度にも渡る取り調べを受けた後、1806年2月下旬に生まれ故郷に戻るも、1月ほどして4月1日に亡くなった。享年36。日本人として初めて世界一周をした4名のうちの1人となった[3]

出身地の室浜に墓碑(宮戸島観音寺)及び記念碑(儀兵衛・多十郎オロシヤ漂流記念碑)がある。

太十郎の墓の移転地入口

参考文献[編集]

注釈・出典[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]