天野藤三

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天野 藤三(あまの とうぞう、1855年6月7日安政2年4月23日[1]) - 1928年昭和3年)3月8日[2][3])は、明治から大正時代の政治家実業家衆議院議員(1期)。旧姓は井上[4]

経歴[編集]

八王子宿(現八王子市)の井上太郎兵衛の二男[5]として生まれ、18歳の時に神奈川県津久井郡鳥屋村津久井町を経て現相模原市緑区)の名主・天野三郎助の養子となる[4]。上京し尾崎行雄と共に勉学に励んだのち、1885年(明治18年)養父の跡を継ぎ鳥屋村ほか2か村組合戸長となった[4]1889年(明治22年)初代鳥屋村長に就任し、治山治水に尽力した[6]1891年(明治24年)神奈川県会議員、1903年(明治36年)津久井郡会議員、同議長を歴任した[3]1904年(明治37年)3月の第9回衆議院議員総選挙では神奈川県郡部から出馬し当選[2]。衆議院議員を1期務めた[2]

1925年(大正14年)鳥屋村長に再度就任し3年間務めた[3]。ほか、神奈川県農工銀行取締役や相模興業社長を務めた[2][3]。墓所は相模原市緑区大字鳥屋の東陽寺[3]

親族[編集]

脚注[編集]

参考文献[編集]