大聖院 (新宿区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大聖院
所在地 東京都新宿区新宿6-21-11
位置 北緯35度41分47.9秒 東経139度42分41.0秒 / 北緯35.696639度 東経139.711389度 / 35.696639; 139.711389座標: 北緯35度41分47.9秒 東経139度42分41.0秒 / 北緯35.696639度 東経139.711389度 / 35.696639; 139.711389
山号 梅松山[1]
院号 大聖院
宗派 天台寺門宗
本尊 不動明王[1]
創建年 不詳
別称 寺号:五大尊寺[1]
法人番号 2011105000642 ウィキデータを編集
大聖院 (新宿区)の位置(東京都区部内)
大聖院 (新宿区)
テンプレートを表示

大聖院(だいしょういん)は、東京都新宿区にある天台寺門宗寺院

歴史[編集]

創建年代は不明である。元々は現在の埼玉県春日部市に位置しており、その後に現在地に移転している[2]

当院は修験道との関連が深く、江戸時代は修験道本山派に属し[1]、隣の西向天神社の旧別当寺であった[2]

明治時代神仏分離により、西向天神社から分離したが、別当寺という関係もあり西向天神社に関する古文書(『天満宮由緒書』など)も所蔵している[2]

紅皿の碑[編集]

境内には、「紅皿の碑」と呼ばれる石碑がある[注釈 1]。元々は、近くの法善寺の崖際にあったものだが、崖崩れのために現在地に移転したという。この石碑は中世の「板碑」と呼ばれるもので、いつしか太田道灌に山吹の花を差し出した少女「紅皿」の碑と呼ばれるようになった[2]

山吹の花の一件以降、道灌は江戸城に紅皿を招き、歌の友にした。その後、道灌殺害の報を聞いた紅皿は、出家して余生を送り、死後に建てられたのがこの石碑だという伝説も残されている[3]

交通アクセス[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 新編武蔵風土記稿』には、「紅皿塚 塚ハ崩レテ断碑ノミアリ(以下略)」と記述がある[1]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 新編武蔵風土記稿 東大久保村.
  2. ^ a b c d 新宿区教育委員会 編『ガイドブック新宿区の文化財(4)(史跡 西部篇)』新宿区教育委員会、1982年、71-72p
  3. ^ 高橋庄助 著『新宿区史跡散歩 (東京史跡ガイド4)』学生社、1992年、113-114p

参考文献[編集]

  • 新宿区教育委員会 編『ガイドブック新宿区の文化財(4)(史跡 西部篇)』新宿区教育委員会、1982年
  • 高橋庄助 著『新宿区史跡散歩 (東京史跡ガイド4)』学生社、1992年
  • 「東大久保村 大聖院」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ11豊島郡ノ3、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763977/13