大和国風土記

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大和国風土記』(やまとのくに ふどき)は、奈良時代に編纂された大和国風土記

現存する記述は、逸文という形でのみ伝わる(以下、逸文の記述)。

三都嫁[編集]

大和国の風土記に云わく、天津神命、石津神命、三都嫁(みとのまぐわい[注 1])、遊(うらぶれ[注 2])、面語(おもがたり[注 3])してとあり。

— 『毘沙門堂本古今集註』[2]

大口真神原[編集]

むかし明日香の地に老狼ありて多くの人を食らう。土民畏れて大口の神という。その住める所を名付けて、大口の真神原[注 4]という云々風土記に見えたり。

— 『枕詞燭明抄(中)』[2]

御杖神宮[編集]

風土記に曰く、宇陀の郡、篠幡(ささはた)の庄[注 5]、御杖の神の宮。祭れる正魂霊(おおみたま)にあらず[注 6]倭比賣命、天照大神を戴(いただ)き、御杖となりて、この地(ところ)に至りき。よりて御宮地をたずねて三月を経(へ)、終に神戸[注 7]となしき。

— 『日本書紀 通證十一』[2]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 男女の交合の意[1]
  2. ^ 物思いする[1]
  3. ^ 面と向き合って語る[1]
  4. ^ 飛鳥大仏辺りの古称で『万葉集』にも見える[1]
  5. ^ 現秦原町山辺三の篠畑[1]
  6. ^ 天照大神の御魂を祭っているのではないの意[1]
  7. ^ 伊勢神宮神領の民戸[1]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g 『風土記 日本古典文学大系2』 岩波書店 14刷1971年(1刷1958年) p.421の脚注。
  2. ^ a b c 『風土記 日本古典文学大系2』