坂田奈弖麻呂

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坂田奈弖麻呂
時代 平安時代初期
生誕 不明
死没 弘仁9年2月4日818年3月14日
官位 従四位下大和守
主君 桓武天皇平城天皇嵯峨天皇
氏族 槻本→坂田宿禰
父母 父:槻本老
兄弟 奈弖麻呂、豊人、豊成
槻本老娘
南淵弘貞南淵永河
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坂田 奈弖麻呂(さかた の なでまろ)は、平安時代初期の貴族氏姓は槻本公のち坂田宿禰。右兵衛佐槻本老の子。官位従四位下大和守

経歴[編集]

桓武朝延暦16年(797年従五位下内蔵助に叙任される。延暦18年(799年長門守として地方官に転じる。延暦22年(803年桓武天皇皇太子時代における父の老の奉仕を賞され、弟の豊人・豊成とともに昇叙されて奈弖麻呂は内位の従五位上となり、槻本公から坂田宿禰姓へ改姓した。

平城朝では大同3年(808年正五位下、大同4年(809年造東寺長官に叙任される。弘仁元年(810年薬子の変では嵯峨天皇側であったらしく、乱の発生に伴い従四位下大和守に叙任されている。

弘仁9年(818年)2月4日卒去。最終官位散位従四位下。

官歴[編集]

日本後紀』による。

系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『日本後紀』延暦22年正月10日条
  2. ^ 『公卿補任』
  3. ^ 『日本文徳実録』天安元年10月12日条

参考文献[編集]