唐人殺し

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唐人殺し(とうじんごろし)とは、明和元年(1764年)、大阪で起きた、日本人通辞による朝鮮人殺害事件である。

概要[編集]

この事件は明和元年(1764年)、大阪の北の御堂の旅館で、対馬の通辞役鈴木伝蔵が、来日中の朝鮮通信使の随行員崔天悰を殺害したものである。

正使は超儼と称し、一行330余人、江戸幕府における将軍家謁見、饗応の儀式、万端とどこおりなくすんで、3月11日、江戸を出発し、大阪に滞在中、4月7日払暁の事件であった。

本人の書き置きによれば、4月6日の暮れに御堂御台所で行列奉行の朝鮮人と口論になり、さんざんに打擲されたので、日本人の恥辱をそそぐために討ち果たしたものであるという。その後いったん立ち退いた鈴木は摂州の小浜でとらえられ、5月2日、木津川で朝鮮側の立ち会いのもとに死刑に処せられた。

なお、この事件は後の歌舞伎などに脚色された。1767年明和4年・英祖43年)に『世話料理鱸包丁』(『今織蝦夷錦』)が上演されるが2日間で上演中止となる。その後、同様の主題による1789年(寛政元年・正祖13年)の『漢人韓文手管始』、1792年(寛政4年・正祖16年)の『世話仕立唐縫針』などの作品が作られた。

参考文献[編集]

  • 池内敏『「唐人殺し」の世界 - 近世民衆の朝鮮認識』臨川書店、1999年。