句章県

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句章県(こうしょうけん)は、かつて中国に存在した

歴史[編集]

句章(勾章)の名は、紀元前473年勾践を滅ぼして覇を唱えた際に建造した句章城(現在の浙江省寧波市江北区慈城鎮中国語版三勤村城山渡[1])に由来するという[2]

句章県は代の紀元前221年に置かれ、会稽郡に属した。当時の句章港は全国九大港口の一つであったという。隆安4年(400年)、句章城が孫恩反乱軍に攻め落とされると、守将の劉裕は句章県の県治を小渓(現在の寧波市海曙区鄞江鎮中国語版)に移した。開皇9年(589年)に鄞県鄮県と合併して句章県となった[2]武徳4年(621年)、姚州鄞州に分割されて廃止された[3]

出典[編集]

  1. ^ 宁波市江北区人民政府 历史沿革”. 宁波市江北区人民政府. 2020年8月20日閲覧。(簡体字中国語)
  2. ^ a b ウィキソース出典 (中国語)『『元和郡県図志』巻二十六 江南道二 浙東観察使』。ウィキソースより閲覧。 
  3. ^ ウィキソース出典 (中国語)『『欽定古今図書集成』方与彙編 第七十三巻』。ウィキソースより閲覧。