古山一郎

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古山 一郎 Portal:陸上競技
選手情報
国籍 日本の旗 日本
競技 投擲競技
種目 円盤投ハンマー投
大学 早稲田大学明治大学
生年月日 (1907-02-08) 1907年2月8日[1][2]
生誕地 大阪府大阪市[2]
没年月日 (1993-10-09) 1993年10月9日(86歳没)
自己ベスト
ハンマー投 41.12m(1928年)[1][注釈 1]
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古山 一郎(ふるやま いちろう、1907年2月8日 - 1993年平成3年)10月9日[要出典])は、日本の陸上競技(投擲)選手。早稲田大学在学中に[3]1928年アムステルダムオリンピックに男子円盤投で出場した。

経歴[編集]

大阪市北区において[2]古山武造の子として[要出典]生まれる。古山家は旧出雲広瀬藩[要出典]。四條畷中学(現在の大阪府立四條畷高等学校)卒業後[2]、早稲田大学専門部に入る[2](『早稲田大学百年史』によれば専門部法律科在籍[注釈 2]専門部専門学校令に基づく短期課程の高等教育機関[5])。

早稲田大学在学中の1927年(昭和2年)・1928年(昭和3年)、日本陸上競技選手権大会で円盤投げ競技連覇[6]

1928年(昭和3年)6月に日本を出発した、早稲田大学競走部のイギリス遠征に参加。7月10日に行われたオックスフォード大学やケンブリッジ大学の「アキレス・クラブ」との競技会において、円盤投げで優勝した[7]。次いで、1928年アムステルダムオリンピックに男子円盤投げで出場した[8]

1929年(昭和4年)早稲田大学専門部を卒業[2]、1930年(昭和5年)に明治大学学部に入学[2]。このため、明治大学体育会競走部も古山を部史に位置づけている[注釈 3]

1931年(昭和6年)の日本学生陸上競技対校選手権大会(日本インカレ)のハンマー投げで優勝の記録がある[10]。1932年(昭和7年)、明治大学体育会競技部副将[2]1932年ロサンゼルスオリンピックにハンマー投げで出場した長尾雄治落合正義(ともに明治大学)とは「明大のハンマートリオ」と呼ばれていたという[9]。1933年(昭和8年)明治大学卒業[9][2]。卒業後は三越百貨店に勤務[2]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『日本スポーツ人名辞典 昭和8年版』によれば、1932年に46.99mを投擲している[2]
  2. ^ 昭和初期の早稲田大学の法学教育部門には「法学部」と「専門部法律科」があり、このほか夜間授業を行う「専門学校法律科」もあった。東京専門学校時代に設けられていた「大学部」と「専門部」の区分に由来を持つ[4]
  3. ^ 古山の第8回極東選手権競技大会出場(1927年(昭和2年))、日本陸上競技選手権大会の連覇、アムステルダムオリンピック出場を年表に記している[9]

出典[編集]

  1. ^ a b Ichiro Furuyama Olympic Results”. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月18日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k 日本スポーツ協会 1933, p. フの部6.
  3. ^ 中澤 2010, 41頁.
  4. ^ 別巻Ⅰ 第一編 第二章/七 大学令の公布と法学部の充実”. 早稲田大学百年史. 早稲田大学. 2020年2月26日閲覧。
  5. ^ 第六編 大学令下の早稲田大学/第七章 勤労学生への福音”. 早稲田大学百年史. 早稲田大学. 2023年5月6日閲覧。
  6. ^ 過去の優勝者・記録 男子円盤投”. 第103回日本陸上競技選手権大会. 日本陸上競技連盟 (2019年). 2020年2月26日閲覧。
  7. ^ 第六編 大学令下の早稲田大学/第二十二章 スポーツ王国の実現”. 早稲田大学百年史. 早稲田大学. 2020年2月26日閲覧。
  8. ^ 早稲田大学競走部年譜”. 2020年2月26日閲覧。
  9. ^ a b c 激変の時代 昭和2年(1927年)~昭和21年(1946年)”. 競走部の歴史. 明治大学競走部. 2020年2月26日閲覧。
  10. ^ 関東インカレ優勝者”. 競走部の歴史. 明治大学競走部. 2020年2月26日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]