原文良

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原 文良(はら ふみよし[1]1919年大正8年〉[1][注釈 1] - )は日本映画照明技師栃木県出身[2]

経歴[編集]

日本郵船の船乗りとして5年半、欧州サンフランシスコ南米航路を周る[1]。その後は微兵され、通信役務で電気関係に詳しくなる[1]。終戦後は運送会社に勤務するが、東宝にライトを運送したことがきっかけで、1947年に同社の照明部に入社する[2][1]黒澤明成瀬巳喜男などの監督作品に参加した後、1954年に岸田九一郎の補佐として特撮映画の照明助手となる[1]。1967年に『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』で照明技師に昇進し、フリーランスに転身した[2][3]

人物・エピソード[編集]

第二次世界大戦中は幸運に恵まれ、たびたび九死に一生を得ている[3]。日本郵船時代に母が死去して下船したところ、乗船していたその船はドーバー海峡での戦闘に巻き込まれ、爆雷攻撃に遭って沈没した[3]。その後に乗った船も、寄港した神戸で原が手旗信号の教官を務めることになって下船したところ、広島で潜水艦の魚雷攻撃に遭って沈没した[3]。また、徴兵の際には宇都宮から満州へ派兵される予定であったが、出征の翌日に腹痛に見舞われて翌年へ持ち越され、参加予定であった部隊は数か月後に満州から南方へ派兵された結果、全滅したという[3]

東宝特撮へは『ゴジラ』(1954年)から参加しているが、特技監督の円谷英二と直接声を交わすようになったのは10年近く経ってからであったという[2]

1971年の『ゴジラ対ヘドラ』でヘドロの中に浮かぶ赤ん坊は、原の孫である[3]

映画[編集]

公開年月日 作品名 制作(配給)
1954年11月3日 ゴジラ 東宝
1954年12月29日 透明人間[3]
1956年12月26日 空の大怪獣ラドン
1957年12月28日 地球防衛軍
1958年10月14日 大怪獣バラン
1961年7月30日 モスラ
1961年10月8日 世界大戦争
1962年3月21日 妖星ゴラス
1962年8月11日 キングコング対ゴジラ
1963年8月11日 マタンゴ
1964年4月29日 モスラ対ゴジラ
1964年8月11日 宇宙大怪獣ドゴラ
1964年12月20日 三大怪獣 地球最大の決戦
1965年8月8日 フランケンシュタイン対地底怪獣[4]
1967年12月16日 怪獣島の決戦 ゴジラの息子[3]
1968年8月1日 怪獣総進撃
1968年8月14日 連合艦隊司令長官 山本五十六
1969年4月29日 クレージーの大爆発 東宝
渡辺プロダクション
(東宝)
1969年7月26日 緯度0大作戦 東宝
ドン・シャーププロ
(東宝)
1969年8月13日 日本海大海戦 東宝
1969年12月20日 ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃
1970年8月1日 ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣
1971年7月24日 ゴジラ対ヘドラ
1971年7月17日 激動の昭和史 沖縄決戦

テレビドラマ[編集]

脚注[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 資料によっては、1920年(大正9年)と記述している[2]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f 東宝ゴジラ会 2010, p. 108, 「第二章 円谷組スタッフインタビュー INTERVIEW8 原文良」
  2. ^ a b c d e 東宝SF特撮映画シリーズ8 1993, pp. 155–165, 「ゴジラ40年記念座談会 回想の東宝特撮円谷組」
  3. ^ a b c d e f g h 東宝ゴジラ会 2010, pp. 109–116, 「第二章 円谷組スタッフインタビュー INTERVIEW8 原文良」
  4. ^ 映画資料室”. viewer.kintoneapp.com. 2020年4月14日閲覧。

参考文献[編集]

  • 『ゴジラVSメカゴジラ』東宝 出版・商品事業室〈東宝SF特撮映画シリーズVOL.8〉、1993年12月11日。ISBN 4-924609-45-5 
  • 東宝ゴジラ会『特撮 円谷組 ゴジラと東宝特撮にかけた青春』洋泉社、2010年10月9日。ISBN 978-4-86248-622-6