千野冝時

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千野 冝時(ちの よしとき、1923年大正12年)3月18日 - 2004年平成16年)8月18日)は、日本実業家である[1]大和証券および日本証券業協会の会長を務めた[1][2]

経歴・人物[編集]

東京府(現在の東京都)の生まれ[1][2]慶應義塾大学卒業後[1]1946年昭和21年)に大和証券に入社した[1][2]。この頃に早くも国際業務に専念し[1]、同社の理論家として有名となる[1]。その後は副社長を務め1980年(昭和55年)には副会長となり[1][2]1982年(昭和57年)には会長職を務め以後1991年(平成3年)までその職にあたった[1][2]

会長に就任後は理論株価(PER(株価収益率)×予想EPS(1株あたり当期純利益))を日本で初導入する事業やユーロ円債の第1号の発行に携わる等[1]証券市場の国際化に貢献する[1]1985年(昭和60年)には日本証券業協会の会長に就任し1987年(昭和62年)まで大和証券会長と兼務で務めた[1][2]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 千野冝時”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社). 2023年8月26日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 千野ヨシ時氏死去/元大和証券会長|全国ニュース」『四国新聞』、2004-8‐25。2023年8月26日閲覧。
先代
渡辺省吾
日本証券業協会会長
1985年 - 1987年
次代
田淵節也