北京日本人学校

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在中華人民共和国日本国大使館附属
北京日本人学校
過去の名称 北京日本人学童補習校
国公私立の別 私立学校
設立年月日 1976年4月26日
創立者 田寺英治初代校長
市川衛門中国公使
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
所在地 中華人民共和国の旗 中国
北京市朝陽区将台西路6号
外部リンク 公式サイト
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校舎

北京日本人学校中華人民共和国北京にある、在中日本人のための初等中等中学校)教育を行う日本人学校。正式名称は、在中華人民共和国日本国大使館附属北京日本人学校。

学校の歴史[編集]

学校沿革[編集]

校歌[編集]

小さな火花[2]

部活[編集]

2009年及び2016年の2学期生徒総会にて部活の設置が提案され、生徒総会ではその案は通ったが、まだ部活動はない[要出典]。また、児童生徒だけで登下校するのは禁止されているため公寓バスや親の送り迎えが必要で、公寓バスの手配や調整が難しいからなどの理由で今後も部活動は無いと考えられる[要出典]

校則[編集]

基本的に服装・髪型に関する校則はないが、漫画・音楽機器・携帯電話は禁止されている[要出典]

制服[編集]

制服は定められておらず、完全に私服である[要出典]

著名な出身者[編集]

古賀亜美(フィギュアスケーター)[要出典]

事件[編集]

  • 2003~2005年にかけて脱北者侵入事件があった[要出典]これを機に同学校は避難訓練の不審者侵入時の対処もやっている[要出典]また敷地を囲む塀に有刺鉄線が張られた。[要出典]
  • 2009年の10月初頭にそれまで少し流行っていた新型インフルエンザが小学部低学年~中学年で流行が始まる。徐々に感染が広がり始め、次々と低学年のクラスが学級閉鎖となる。また中学部2,3年から位置が遠く、感染が広がっていた小学部3,4年のクラスに隣接していた中学部1年でも流行が始まり、感染者が一気に増えたため、10月終盤に一週間ほど閉鎖した。(また、上記にも記載しているとおり、小学部・中1から遠かった中2・中3はそれほど感染が広がらなかった。)[要出典]
  • 上記の2009年新型インフルエンザのため、6月・7月に予定されていた中学部修学旅行・小学部宿泊学習は中止となった。[要出典]
  • 2012年9月反日デモの影響で運動会の中止、学校の閉鎖、小学部6年の修学旅行延期及び行き先が日本に変更となる。[要出典]
  • 2015年12月・2016年12月の大気汚染赤色警報により、3度にわたって2日間ほど臨時休業となった。[要出典]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av 沿革”. 北京日本人学校. 2010年2月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月9日閲覧。
  2. ^ a b c 「小さな火花」”. 北京日本人学校. 2010年5月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月9日閲覧。

参考文献[編集]

日本語:

  • 後上鐵夫 (国立特殊教育総合研究所教育相談部)と小林倫代 (国立特殊教育総合研究所教育相談部). 「上海日本人学校,北京日本人学校における特別支援教育の実情と教育相談支援 (PDF) 」『世界の特殊教育』 21, 47-50, 2007-03. 独立行政法人国立特別支援教育総合研究所, NAID 110007475837.
  • 河内正比古, 「北京日本人学校におけるインターネットの利用 : 海外日本人学校の今後のインターネット利用」『年会論文集』 (13), 242-243, 1997-08-08. 日本教育情報学会, NAID 110001097248.
  • 『在外教育施設における指導実践記録』 24, 129-133, 2001. 東京学芸大学. NAID 110000520861.
  • 『在外教育施設における指導実践記録』 23, 137-140, 2000. 東京学芸大学, NAID 110000520825.
  • 小山和智, 「様変わりする日本人学校 北京日本人学校の場合--増え続ける生徒数と保護者の若年齢化がもたらす問題点」『教育ジャーナル』 41(12), 26-28, 2003-02. 学習研究社. NAID 40005629163.
  • "衝撃スクープ! 北京日本人学校に駆け込んだ脱北者4人と密着48時間 日本人NGOが覚悟の独占告白--あの時、失敗したら彼らは処刑されていた--難民を受け入れたくない日本政府の「弱腰」." サンデ-毎日 82(9), 24-28, 2003-03-09. 毎日新聞社. NAID 40005670038.
  • 李英和. 「脱北者 北京日本人学校駆け込み事件「運命の10分間」の全舞台裏 (SIMULATION REPORT 平和ボケ日本を襲う「盧武鉉・金正日」同盟という名の悪夢 「金正日の核戦争」対策読本 マニュアル)」『サピオ』 15(6), 22-24, 2003-03-26. 小学館. NAID 40005839172.
  • 『在外教育施設における指導実践記録』vol.28, pp.156-159, 2005 NAID 110006624922.
  • 山崎豊子. 「胡耀邦さんと北京日本人学校」『文芸春秋』 75(10), 264-275, 1997-08. NAID 40003415384.

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯39度58分24.2秒 東経116度28分12.9秒 / 北緯39.973389度 東経116.470250度 / 39.973389; 116.470250