加藤条治

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加藤 条治
加藤条治
2008年ワールドカップ
基本情報
国籍 日本の旗 日本
所属 博慈会記念総合病院
誕生日 (1985-02-06) 1985年2月6日(39歳)
出身地 山形県山形市
身長 165cm
体重 67kg[1]
獲得メダル
男子スピードスケート
オリンピック
2010 バンクーバー 500 m
世界距離別選手権
2005 インツェル 500 m
2011 インツェル 500 m
2013 ソチ 500 m
2008 長野 500 m
2008年ワールドカップ(ヘーレンフェーン)

加藤 条治(かとう じょうじ、1985年2月6日 - )は、日本のスピードスケート選手。山形県山形市出身。一般財団法人 博慈会所属。

2010年バンクーバーオリンピック・スピードスケート男子500m銅メダリスト2006年トリノオリンピック(6位)、2014年ソチオリンピック(5位)、2018年平昌オリンピック(6位)と、冬季オリンピックでは4大会連続で6位以内の入賞を果たしている。

略歴[編集]

四人兄弟の末っ子。兄たちの影響でショートトラックからスケートを始め、その後スピードスケートに転向。北海道長野県の選手が多数を占めるスピードスケート界では珍しい山形市出身。

山形中央高時代、インターハイ男子500mで三連覇を達成[2]。日本人選手として史上初めて高校3年時にスピードスケート・ワールドカップ(W杯)代表に選ばれ、2002年12月に初出場した長野大会で3位入賞。その翌週に中国・ハルビンで行われたW杯では、当時日本スケート界の第一人者だった清水宏保を破り、2位に入る。2003年1月のソルトレイクシティ大会では34秒88の世界ジュニア新記録を樹立し、同年に34秒75まで更新した[3]。高校生ながらデビュー以来W杯の表彰台に上がり続け、卒業後は三協精機へ入社。

2005年3月にドイツ・インツェルの屋外リンクで行われた世界距離別選手権で優勝し、2位に入った清水宏保とともに2006年トリノオリンピック代表に内定。2005年11月、アメリカソルトレイクシティユタ・オリンピックオーバルで行われたW杯で、清水の持つ世界記録34秒32をおよそ5年ぶりに更新する34秒30の男子500m世界新記録(当時)をマークし、W杯自身初優勝を果たした。

世界記録保持者として臨んだ2006年トリノオリンピックではメダル候補として期待されるも、1回目の500mで11位と大きく出遅れたのが響き、2回目では4位に入るも、総合6位入賞に留まった。

500m世界記録は、現在、カナダ人選手ジェレミー・ウォザースプーン(34秒03)が保持している。(自己ベストは2013年世界スプリント選手権で記録した34秒21で、これは現在の日本記録である。)

2008年-2009年シーズンの後半には大スランプに陥る。コーナーで右足が置けなく等の症状が出て、過去に何人もの選手が引退に追い込まれた奇病「(足が)ブラブラ(する)病」の疑いがあった。治るか治らないかギリギリの状態ではあったが、オフは練習に明け暮れた。そのうちに右半身の筋力が極端に落ちていたことがわかり、体のバランスを矯正[4]。オリンピックの代表権を手に入れた。

2010年バンクーバーオリンピック、スピードスケート男子500mでは総合で3位に入り、自身冬季オリンピック初めての銅メダルを獲得した。

2011年、ワールドカップ、500mで、総合3位。

2012年、ワールドカップ、500mで、総合5位。

2013年、ワールドカップ、500mで、総合2位。

2014年ソチオリンピックでは、スピードスケート男子500mの種目で2大会連続のメダル獲得が期待されたが、総合5位入賞に終わった。

現役は続行するが、2018年平昌オリンピックを見据えて翌シーズンは休養した。[5]

2016年6月に現役選手のまま、所属する日本電産サンキョースピードスケート部の選手兼任監督に就任する。

2017年3月、所属の日本電産サンキョーを退職し、移籍先を探していたが、9月4日博慈会記念総合病院への所属が発表され、平昌オリンピックを目指すことになった。

2017年12月30日、翌2018年平昌オリンピック・男子スピートスケート日本代表に内定。自身4大会連続4度目の冬季オリンピック出場を決めた。

2018年2月19日、平昌オリンピック・スピードスケート男子500mでは2大会振りのメダルを狙うも、スタートでフライングを取られ、号砲後も第1カーブでのミスが致命傷となり、結果6位入賞に留まったが、加藤自身冬季五輪では4大会連続の入賞を果たす[6]。ゴール後の加藤は「悔しいのは大前提だが、すがすがしい気持ち。これが今の実力で自分の未熟さが出た」と言いつつも、「まだ上に行く力は十分ある。チャンスがあれば続けたい」と満足げな笑顔を浮かべながらインタビューに応じていた[7]

2022年3月29日に現役引退を表明、現在は博慈会の職員として活動している[8]

プレースタイル[編集]

天才肌と評され[9]、氷上でのバランス感覚に優れており、「カーブを駆け抜ける」とまで言われる世界屈指のコーナーワークを可能にしている。

清水宏保はロケットスタートを活かして記録を出すタイプであるのに対し、加藤はショートトラックの経験を活かしたコーナーワークが持ち味である。スピードスケート選手としては、技術と瞬発力はあるが持久力に欠けるため典型的な「500m専門型」であり、1000m以上の中・長距離では好タイムはあまり期待できない。ワールドカップ通算優勝回数は14回。(500m13回、100m1回。2012年-2013年シーズン終了時点)

プロフィール[編集]

人物[編集]

  • 幼少期の木登りにより足底筋が異常に発達、このため現在では土踏まずが無く「扁平足」のようになっている。この特異な足がクッションの役割を果たし、コーナーでのバランスの良さにつながっている。
  • 生まれつき足首やひざの関節が弱く、コーナーを回る際に、腰をコーナー内側に入れた独特の姿勢を取ることができる。駆け抜けるようにカーブを滑ることができるのは、この時の姿勢が安定しているからである。
  • タレントの安田裕己安田大サーカスリーダー)と親交があり、食事を共にする仲であるとのこと[10]

主な戦績[編集]

主な戦績
冬季オリンピック 世界距離別選手権 世界スプリント選手権 ISUワールドカップ
2003 12位 (500m) 総合3位 (500m)
総合24位 (1000m)
2004 15位 (500m) 7位 総合3位 (100m)
総合8位 (500m)
2005 優勝 (500m) 9位 総合4位 (100m)
総合2位 (500m)
総合34位 (1000m)
2006 6位 (500m) 28位 総合6位 (500m)
2007 6位 (500m) 総合4位 (100m)
総合9位 (500m)
2008 3位 (500m) 総合3位 (100m)
総合7位 (500m)
2009 12位 (500m) 総合7位 (100m)
総合6位 (500m)
2010 3位 (500m) 総合9位 (500m)
2011 2位 (500m) 総合3位 (500m)
2012 4位 (500m) 8位 総合5位 (500m)
2013 2位 (500m) 22位 総合2位 (500m)
2014 5位 (500m)
2018 6位 (500m)

脚註[編集]

外部リンク[編集]