加来至誠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

加来 至誠(かく しせい、1949年7月21日 - )は日本の外交官。駐エルサルバドル特命全権大使や駐ホンジュラス特命全権大使を歴任。

人物[編集]

佐賀県出身。1973年に東京大学教養学部を卒業、外務省入省。

英語研修(米国フレッチャースクール)、在インドネシア大使館三等書記官、中南米局中南米第二課首席事務官、大臣官房領事移住部領事第二課首席事務官、在カナダ大使館一等書記官、情報調査局情報課長補佐、大臣官房総務課首席事務官、在ケニア大使館参事官などを経て、大阪府国際交流監、外務省研修所副所長、駐フィンランド公使、駐ニュージーランド公使、2004年11月メルボルン総領事、2007年10月から駐エルサルバドル特命全権大使、2011年3月駐ホンジュラス特命全権大使を歴任。

フレッチャースクールでは、同時期に留学していた原田義昭と交友を結ぶ。

1997年に京都議定書をとりまとめた際に会議の事務総長を務めた。

2004年11月にメルボルン総領事に就任。オーストラリア人ジャーナリスト・ベン・ヒルズによる『プリンセス・マサコ』が出版されたときは、マイケル・ダンフィー日濠友好協会会長に対し同書には事実誤認があることなどを個人的に伝えた。ベン・ヒルズはアデレードでの講演会に対し、日濠友好協会を介して総領事館から中止圧力があったと主張した。

同期入省[編集]

参考文献[編集]

  • 『全国官公界名鑑』(同盟通信社、2003年)


脚注[編集]

先代
大藤芳則
大阪府国際交流監
1992年 - 1996年
次代
楠田かおる
先代
本田均
外務省研修所副所長
1996年 - 1998年
次代
平岡邁