内藤良太

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ないとう りょうた

内藤 良太
内藤良太六本木路上、2023年12月撮影)
生誕 (1972-09-09) 1972年9月9日(51歳)
日本の旗 日本大阪府大阪市生野区新今里
国籍 日本の旗 日本
別名 ryota[1]
出身校 大阪府立勝山高等学校(現・大阪府立大阪わかば高等学校)中退
職業 実業家
演出家
空間プロデューサー[2]
団体 ショークラブバーレスク東京』(オーナー・プロデューサー)
ショークラブboxdisco partyon』(オーナー・プロデューサー)
シンポニーテール協会(会長)[2]
影響を受けたもの ヒュー・ヘフナー
小田吉男
テレビ番組有吉ジャポン
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公式サイト りょうた バーレスク東京 (@dragontokyo1972) - X(旧Twitter)
りょうたバーレスク東京パリオン専用垢 (@ryota9999999) - X(旧Twitter)
内藤良太 (@ryota_burlesque) - Instagram
内藤良太 (ryouta.naitou) - Facebook
補足
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内藤良太バーレスク東京前、2023年12月撮影)

内藤 良太(ないとう りょうた、1972年9月9日 - )は、日本実業家演出家空間プロデューサーショークラブバーレスク東京』『boxdisco partyon』創設者(オーナー/プロデューサー)、シンポニーテール協会会長、愛犬家大阪府大阪市生野区新今里出身。

経歴[編集]

大阪府大阪市生野区新今里生まれ[3]コリア・タウンで育ち父は物心つくまえに離婚。母子家庭の貧困生活を送り、食べていくのでやっとな家計のなか、周囲の手助けでその日暮らしの生活を送ったと自称している[4]。極貧生活のもと毎日喧嘩ざんまいな生活を過ごし、クラスの3分の1が在日韓国人のなかクリエイティブの感性を自然と磨いたと自称している[2]

大阪市立東中川小学校大阪市立東生野中学校を卒業。中学校時代はドラマ『スクール☆ウォーズ』の影響でラグビー部に入部。中学3年にフランカーのポジションで関西大会優勝。当時は全国大会がなかったので実質ナンバー1だったと自称している[2]

1988年昭和63年)大阪府立勝山高等学校(現・大阪府立大阪わかば高等学校)に入学するものの喧嘩を理由に1ヶ月で自主退学し、誰が1番強いかを競うリアル「クローズZERO」だったと自称している[4]

高校退学後、ショーパブオーナーからスカウトを受け、田原俊彦少年隊の振付けを真似て踊ったと自称。その後、大阪ミナミにあるマハラジャ系列「トッツィー」、A-Project「大阪ギャルソン」にショーパブダンサーとして在籍[4]。幼馴染の小田吉男が立ち上げた伝説のサパークラブ「KEMUSHI」にてショープロデューサーを務め、様々なエンターテイメント空間を世に送り出してきたショービズ界の第一人者として注目を浴びると自称している[3][5][出典無効]

1993年平成5年)21才で独立。初めて経営者としてスナック営業終了後(25時から)の店を借りて朝までショーパブを運営したと自称している[4]

2002年(平成14年)30才で東京に進出。六本木で富裕層向けアフター店(50坪)のショーパブ店「ドラゴン」をオープン。男芸者による過激な裸体演出がウケて経営規模を拡大をし、全国主要都市8店舗、裸で踊れる男子200人のショーダンサーを雇用したと自称している[4]

2011年(平成23年)六本木のショークラブ『バーレスク東京』をオープン、ショー演出家としてプロデューサー[6]、ディレクターを兼務[7]。40才を機に男性ダンサーで行っていたことを女性ダンサーに切り替えた[4]

2017年(平成29年)ボックスディスコ『Party on tokyo』オープン、プロデューサーに就任[3][出典無効]

2023年令和5年)港区議会議員立候補予定のDJティアラの推薦人として立候補ポスターに掲載[8]

2024年(令和6年)春、新宿区・新感覚エンターテイメント空間『A-MEN'S TOKYO』(田口淳之介D)とメンズグループの監修役に就任[9]。同年2月、バーレスク店内において「ダンサーと客の立ち話」「ステージからの談笑」が接待行為とみなされ、風営適正化法違反容疑で逮捕。40日間拘留のもと釈放[10]

現在[いつ?]は「超刺激デジタルプロデューサー」という肩書きでメディアに出演[3]

人物[編集]

  • 無類の愛犬家トイプードルを飼っている。名前は「はち」。内藤は9月9日生まれにちなんで「9」をラッキーナンバーにしている。9から1を引いて「はち」にした[2]
  • 漫画「北斗の拳」好き。必殺技だけでなく浪花節が合間見れるストーリーが夢中にさせる。特に「南斗五車星」の一人・ジュウザが好き。最後はユリアのために時間稼ぎをする場面や考察が様々できる人物像[2]
  • 脳科学者苫米地英人の本は全部、読み漁った[2]
  • 青年時代は藤井フミヤ尾崎豊石井竜也に憧れた。東京に上京してからは、西新宿の「ギャルソンパブ」で演出していたロッキーに憧れた。フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドディープ・パープルの曲が好きだった。コロナ禍では心沈んだ気持ちをエレファントカシマシが救ってくれた。幼馴染の小田吉男が薦めてくれた曲だったと自称している[2]
  • 貧しい家に生まれた。スラム街の中でもずば抜けて貧しい暮らしだったと自称している。月の収入が6万で家賃3万の暮らしで、周りの手助けで何とかお腹を満たしていた[2]
  • 離婚した父親は7回しか会ったことがないと自称し、上下白のスーツにハットの帽子を被ってオシャレな人だったという思い出が、うっすらした記憶だと自称している。母親は東大阪市八戸ノ里で喫茶店「サンモリツ」を経営して切り盛りしていた。内藤のソールフードは店の看板メニューのカレー、今[いつ?]も母の味を超えるカレーと出会っていない。小さい頃から母親から「成功、派手な人間は別次元の世界の人なんだよ。あんたは勉強だけはしなさい」と言われたと自称している。東京で成功した内藤に母親は「良太はすごいね、どうして成功したの、すごいね」と褒めてくれ嬉しかったと自称している[2]
  • 太りやすい体質で7年間、毎日、家で自炊、同じものを食べている。玉子、キムチ、鶏肉、豆腐、カットキャベツ、味噌汁。下戸でお酒が飲めない[2]
  • 憧れの人はアメリカを代表する娯楽雑誌『PLAYBOY』を作ったヒュー・ヘフナー。無名だったマリリン・モンローを発掘したり、バニーガールを作った人でも知られている。「Life is too short to be living somebody else’s dream.(誰かの夢を生きるには人生は短すぎる)」。人生100年時代は長すぎるという人が多いですが、夢やテーマをもっている人にとっては、あまりにも短い。インタビューで内藤は「そんな大人になりたい」と話す[2]

交友録[編集]

ビジネス/演出論[編集]

  • バーレスク東京では日本初のチップ制度(1枚あたり100円のチップを購入して気に入った女のコの衣装に挟んであげる遊び)を設けたパイオニアだと自称している。クラウドファンディング配信投げ銭もない時代だったと自称している[11]
  • バーレスク東京を作るにあたって自己投資を店内や衣装にあてた。1着15万の衣装、映像や音楽製作を含めると1つのショーに200万、LEDビジョン、ムービングライト110発を含めた内装に1憶5,000万円投資したと自称している[4]
  • 生野区のスラム街育ち。クラスの3分の1が在日韓国人でコリアカルチャーの中で喧嘩に明け暮れたと自称している。中学1年のとき在日韓国人の結婚式に行ったとき、出席者全員が酒を飲んで踊っている光景みて。“参加型”エンタメスタイルに憧れを持った。内藤の原風景とインタビューで答えている[2]
  • 29才から新大久保の韓国CDショップに行ってジャケ写買いをしている。直感で賑やかなジャケット、ノリの良さそうなデザインを片っ端に買い漁る。DJ DOCの「Run to you」は日本で流行る前から先取りして踊っていたと自称している。7年後、DJ OZMAが「アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士」というタイトルでカバーして大ヒットした[2]
  • 創作術としてインプットを大切にする。15年前から365日の3分の1は海外のショーを見に行こうと心掛けている。ブロードウェイラスベガスのようなゴージャズなエンタメから、タイフィリピンのようなチープでアンダーグランドなエンタメまで幅広くチェック。丸々パクるのではなく、気になるところを1つ持ち帰る、もしくはインスパイヤ―させてストックすると自称している[2]
  • 自分の中にいる「童貞で、初心者で、イケてない自分」がいる。そういう対象者を想定したとき、どうやったら願望をえぐりだし目的を叶えてあげれるか考えている。下戸な自分が「お酒が飲める自分」を想像して妄想を膨らませて「憶測の世界でハメを外す。徐々に心をほぐして酒を飲んで体を動かしたら人はストレスをなくす」という体験型を作るのが内藤の創作術だと自称している[2]
  • 若いときはショーダンサーをしていたと自称している。自らお金持ちの社長を喜ばす“男芸者”だったと自称している。今[いつ?]でも若い人に「挨拶プラスONE」「(自分投資の)無駄遣いをいっぱいしろ」「絶対レディーファースト」と話していると自称している[2]

主な作品[編集]

楽曲[編集]

アーティスト[編集]

  • 『A-Queen from バーレスク東京』:プロデュース
  • 『キュンキュンクリーム』 - 宇宙規格外の選抜式アイドルユニット:プロデュース
  • 『Revogene(レボジェネ)』 - バーレスク東京&パーティーオンより生まれたモンスターなショーガールズ:プロデュース

店舗[編集]

出演[編集]

テレビ番組[編集]

ウェブ番組[編集]

雑誌[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『バーレスクTOKYO』(超刺激デジタルディレクター:内藤良太【RYOTA】)が、今後様々なジャンルのタレント・アーティストを招きバーレスク東京で【ショーガール】に就任していただく事を発表した!
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 生野区が生んだ時代の寵児・内藤良太【ryota】「東京バーレスク」オーナー・プロデューサーが語る成功の秘密、創作術、モテ術3つ。初出し満載のロングインタビュー「ケンカ三昧な少年時代」「在日韓国人から学んだ参加型エンターテインメント」「7回しか会ったことのない父親の面影」
  3. ^ a b c d バーレスク東京RYOTA×愛沢えみり 夜に輝くプロデューサー対談
  4. ^ a b c d e f g 街録ch出演回
  5. ^ 『HONEY』内藤良太取材インタビュー!! | ホストクラブ紹介
  6. ^ “酒池肉林のショークラブ”六本木に出現! 米映画「バーレスク」の世界観再現”. ZAKZAK (2013年12月27日). 2019年1月26日閲覧。
  7. ^ 日本の“夜の経済”を変える! 歌舞伎町と六本木2大巨頭が対談”. 東京スポーツ (2018年6月1日). 2019年1月26日閲覧。
  8. ^ 【お知らせ】バーレスク東京代表の内藤良太さんに2連ポスターに出ていただきました!
  9. ^ 内藤良太X「今度は男の子です👦」
  10. ^ ショークラブ「バーレスク トーキョー」、無許可営業の疑いでプロデューサー再逮捕”. 読売新聞オンライン (2024年2月21日). 2024年2月21日閲覧。
  11. ^ 内藤良太Twitter
  12. ^ 内藤良太のTV出演情報 | ORICON NEWS
  13. ^ BS- TBS 「週刊報道BizStreet」超刺激的デジタルディレクターRyotaとグループダンデー高見会長の対談が放送されました
  14. ^ 【サイゾー】バーレスク東京6P特集、超刺激的デジタルディレクターRyotaのインタビューも掲載されました

関連項目[編集]

外部リンク[編集]