伊吉益麻呂

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伊吉 益麻呂(いき の ますまろ、生没年不詳)は、奈良時代貴族官位従五位下大外記

経歴[編集]

淳仁朝天平宝字5年(761年)10月に遣高麗大使(遣渤海使)に高麗大山が任ぜられるが[1]、ほどなくして、益麻呂が副使に任じられたと想定される。翌天平宝字6年(762年)3月に遣渤海使節は渤海に渡航するが、大使の高麗大山は帰途船上で病を得て、帰国直後に佐利翼津(さりはねのつ。一説では現在の山形県最上郡舟形町)で没した。そのため、益麻呂が代わって渤海使王新福ら23人を率いて平城京に戻ることになり、10月に益麻呂ら使節一行は越前国加賀郡に安置され[2]、12月には復命を果たして益麻呂は従五位下に昇叙された。なお、高麗大山は正五位下贈位されている。

天平宝字7年(763年大外記に任ぜられた。

官歴[編集]

続日本紀』による。

脚注[編集]

  1. ^ 『続日本紀』天平宝字5年10月22日条
  2. ^ 『続日本紀』天平宝字6年10月1日条

参考文献[編集]