令子女王

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令子女王
伏見宮家
続柄 博義王第2王女子

全名 令子(よしこ)
身位 女王
敬称 殿下
出生 1933年2月14日
日本の旗 日本東京府東京市麹町区紀尾井町、伏見宮邸
死去 (1937-10-25) 1937年10月25日(4歳没)
日本の旗 日本東京府東京市麹町区紀尾井町、伏見宮邸
埋葬 1937年10月29日
豊島岡墓地
父親 博義王
母親 博義王妃朝子
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令子女王(よしこじょおう、1933年昭和8年〉2月14日 - 1937年〈昭和12年〉10月25日)は、日本皇族伏見宮博恭王の第1王男子・博義王の第2王女子。身位女王で、皇室典範における敬称殿下であった。

生涯[編集]

1933年昭和8年)2月14日午前11時30分、伏見宮邸において博義王同妃朝子の第2女子として誕生[1]。御七夜の2月20日に「令子」と命名された[2]

1937年(昭和12年)10月21日、感冒から気管支喘息に伴う肺炎を発症し、10月25日午前2時15分に伏見宮邸で薨去した[3][4]。満4歳、数え年5歳の短い生涯だった。

同年10月29日、豊島岡墓地にて斂葬の儀が執り行われ[5]、午後2時31分に終了した[6]

家族[編集]

系譜[編集]

令子女王 父:
博義王
祖父:
博恭王伏見宮
曾祖父:
貞愛親王伏見宮
曾祖母:
河野千代子
祖母:
経子
曾祖父:
徳川慶喜
曾祖母:
新村信
母:
朝子
祖父:
一条実輝
曾祖父:
四条隆謌
曾祖母:
四条春子[注釈 1]
祖母:
一条悦子
曾祖父:
細川護久
曾祖母:
宏姫[注釈 2]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 中井好馬の長女で、土方久元の養女。
  2. ^ 鍋島直正の五女。

出典[編集]

  1. ^ 昭和8年宮内省告示第5号(『官報』第1836号、昭和8年2月15日)(NDLJP:2958307
  2. ^ 昭和8年宮内省告示第6号(『官報』第1841号、昭和8年2月21日)(NDLJP:2958312
  3. ^ 『官報』第3246号「宮廷録事」、昭和12年10月26日(NDLJP:2959732/10
  4. ^ 昭和12年宮内省告示第32号(『官報』第3246号、昭和12年10月26日)(NDLJP:2959732/3
  5. ^ 昭和12年宮内省告示第33号(『官報』第3246号、昭和12年10月27日)(NDLJP:2959733/4
  6. ^ 『官報』第3251号「宮廷録事」、昭和12年11月1日(NDLJP:2959737/7