仙台市民歌

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仙台市民歌

市民歌の対象
仙台市

作詞 佐々木青
作曲 堀内敬三
採用時期 1931年10月
採用終了 戦後は公的行事での演奏を取りやめている
言語 日本語
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仙台市民歌」(せんだいしみんか)は日本政令指定都市の1市で、宮城県県庁所在地である仙台市市歌。作詞・佐々木青、作曲・堀内敬三

解説[編集]

仙台市民歌
徳山璉 / 仙台蔦奴シングル
B面 伊達小唄
リリース
規格 SPレコード
ジャンル 市民歌新民謡
時間
レーベル ビクターレコード
作詞・作曲 A面‥作詞:佐々木青、作曲:堀内敬三
B面‥作詞:土田廣
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作成経緯[編集]

1931年昭和6年)が河北新報の創刊35周年に当たることを記念し、同紙の発行元である河北新報社1月17日付の紙面で「仙台市民歌」の歌詞募集広告を掲載する[3]。引き続き3月に掲載された社告において同社が提唱した市民歌の制定意義は、次のようなものであった[4]

東北の誇り、東北の中心、翠深き杜の都は悠々二十万の人口を擁して大仙台建設の途上に立つてゐる(略)われ等の胸は歓びの歌声で高鳴つてゐる、此の力、此の希望、此の歓び、われらは今声高らかにうたふ歌がほしい。歌詞は是非とも諸君がうたひ出たる者の中から選ばねばならぬ。 — 河北新報社 社告(1931年3月)[4]

審査委員には堀内敬三土井晩翠小宮豊隆が迎えられ、入選作の発表後に堀内が作曲を行うことになった[4]。応募総数は約3000篇で、一次審査で44篇を選抜した後に最終候補として9篇が残り、その中から一等の採用作と二等・三等が選定される。曲の完成後、同年7月11日付の河北新報には、歌詞と楽譜を掲載した別刷りの付録が折り込まれた[5]

仙台市への寄贈[編集]

10月9日に河北新報社から仙台市へ楽曲が寄贈された際、仙台市役所では11月3日明治節記念式典で参加者の斉唱を行うことを同紙に約束し、前倒しで練習会を開催した[6]10月28日には、仙台市主催の小学校児童体操大会で連坊小路尋常小学校5・6年児童が市民歌の演奏に合わせたマスゲームを披露している[6]

発表音楽会は明治節の後、11月14日に仙台市公会堂(現在の仙台市民会館)で仙台市と河北新報社の主催・宮城県後援により開催された[3]。同月にはビクターレコード(現在のJVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)から徳山璉の歌唱でSPレコードが発売されている[1]B面曲は仙台蔦奴が歌う新民謡「伊達小唄」[2][注 1]。また、制定当日より仙台中央放送局(JOHK)が立町尋常小学校児童による斉唱を放送した[6]

制定後[編集]

戦前・戦中は盛んに演奏されたが、戦後は1番の歌詞にある「覇権」「大旆」などの表現が軍国主義に繋がるとして忌避され、公的な行事での演奏が自粛されるようになった[5]。そのため、政令指定都市の市歌としては同時期に制定された福岡市歌と同様に市民の認知度が著しく低下しているが、民間のコンサートで演奏されたり広報紙『仙台市政だより』で紹介されるなど折に触れて取り上げられる場合がある[注 2]

1989年平成元年)には市制100周年および政令指定都市移行を記念してダ・カーポが歌唱する「風よ雲よ光よ」が“新仙台市民歌”として制定されているが[7]、同曲への“代替わり”ではなく従来の「仙台市民歌」も存続しているため、現在は新旧2曲の市歌が並立する状態となっている。

歌詞[編集]

歌詞は著作権保護期間満了。

一、
青葉山あおばやま くも ところ
東奥とうおうの 覇権はけんりて
栄光えいこうと 威武いぶ大旆たいはい
たかかりき 五城楼ごじょうろう

二、

広瀬川ひろせがわ きりはれけば
北方ほっぽうの はるはめざめて
産業さんぎょうと 文化ぶんか都会みやこ
もと りぬ 仙台市せんだいし

三、

三百さんびゃくの 春秋はるあきりて
山河やまかわの いろうつらず
伝統でんとうの 潮高しおたかくも
みゃく つよ むね

四、

光明こうみょうの 時代じだいいま
空青そらあおく 望遥のぞみはるけし
あたらしき 鵬翼ほうよくならせ
たからかに ほがらかに

(原文は旧字旧仮名遣い)

作詞者[編集]

作詞者の「佐々木青」こと佐々木 精一(ささき せいいち、1897年 - 1934年12月29日[8])は詩人学芸員。号は米青[8]

祖父は黄金山神社社司を務めた書家の佐々木巴渓[8]

入選時は財団法人斎藤報恩会博物館に勤務しており、詩人として著名であったが「仙台市民歌」入選から3年後の1934年(昭和9年)12月29日に死去した[8]。享年38。

参考文献[編集]

  • 仙台市史編纂委員会 編『仙台市史』第7巻 別編 第5(仙台市役所、1953年NCID BN02687647
  • 仙台市図書館 編『要説 宮城の郷土誌』(1980年NCID BN15235783
  • 中村實『比較研究-東北6県都:「住みやすさ」からみる都市の姿』(『東北文化学園大学総合政策学部紀要』2巻1号、2002年
  • 中川正人『「学都仙台」その“学都”観をさぐる――(その4)』(『東北学院大学東北文化研究所紀要』53号、2021年

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 1935年(昭和10年)に伊藤久男の歌唱で同名の「流行歌 伊達小唄」が日本コロムビアから発売されているが、高橋掬太郎が作詞、佐々紅華が作曲した別の楽曲である。
  2. ^ 2000年代以降では、伊達政宗の仙台開府400年に合わせて2001年(平成14年)1月号で紹介された。

出典[編集]

  1. ^ a b 仙台市民歌国立国会図書館・歴史的音源)
  2. ^ a b 伊達小唄(国立国会図書館・歴史的音源)
  3. ^ a b 要説 宮城の郷土誌、104ページ。
  4. ^ a b c 中川(2021), p64
  5. ^ a b “仙台市の歌はあるの!?”. リビング仙台 (仙台リビング新聞社). (2009年8月11日). http://www.sendailiving.jp/special/detail.php?cid=1&pid=316 201-10-26閲覧。 
  6. ^ a b c 中川(2021), p65
  7. ^ 中村(2002), pp95-96
  8. ^ a b c d 仙台市史編纂委員会(1953), p83

関連項目[編集]