今井繁三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

今井 繁三郎(いまい しげさぶろう、明治43年(1910年2月7日 - 平成14年(2002年1月9日)は、日本画家羽黒町名誉町民(現:鶴岡市名誉市民)。

人物[編集]

羽黒町(旧泉村)戸野に生まれる。

旧制鶴岡中学(現:山形県立鶴岡南高等学校)卒業後、上京。創作に励む傍ら、美術雑誌の編集長を務める。また太平洋戦争の最中には、従軍画家として諸国を巡った[1]。 戦後、帰郷。美術団体「白甕社(はくおうしゃ)」の代表を長年務め、庄内の芸術振興や後身の指導に尽力した。

具象抽象を織り交ぜた奔放な画風で知られ、晩年まで旺盛に創作を続けた[2]

1990年に鶴岡市山王町にあった豪商の土蔵を買い取り、自作を常設展示する今井繁三郎美術収蔵館を自宅庭に開館した。同館は2014年に老朽化のため休館したが[2]2016年春に羽黒・芸術の森-今井アートギャラリーとして再開した。また今井の親族が山形新聞社クラウドファンディング「山形サポート」で資金を募り、今井のアトリエだった「工房いずみの」を改装。貸しアトリエとの併用施設として、レストラン「oven Kato(オーブンカトウ)」を2018年6月14日に開業した[3]

略歴[編集]

受賞歴[編集]

  • 齋藤茂吉文化賞
  • 光陽会文部大臣奨励賞
  • 鶴岡市特別文化功績賞

主な作品[編集]

  • 「夢を見るものに終りは無い」
  • 「風見鶏」
  • 「慟哭」
  • 「字架マンダラ」
  • 「わだつみの詩」
  • 「シルクロード」
  • 「ねはん」
  • 「埋葬」
  • 「霊峰月山」
  • 「北国」
  • 「1910.2.7は私の誕生日」

著書[編集]

  • 『雑言 : 随筆集』東北出版企画、1979年。
  • 『今井繁三郎画集』東北出版企画、1980年。
  • 『今井繁三郎画集Ⅱ 第2集1980-1988』 東北出版企画、1988年。

挿絵[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 「今井繁三郎氏死去 自由奔放な画風、洋画家・羽黒町名誉町民」『朝日新聞』山形版 2002年1月11日
  2. ^ a b 「今井繁三郎美術収蔵館、休館へ 遺族が私費運営 維持困難に」『朝日新聞』山形版 2014年9月22日
  3. ^ “アトリエ改装のレストランがオープン 鶴岡「羽黒・芸術の森」”. 山形新聞. (2018年6月15日). http://www2.yamagata-np.jp/news/201806/15/kj_2018061500325.php 2018年6月20日閲覧。 
  4. ^ “齋藤茂吉文化賞受賞者21-30回”. 山形県. https://www.pref.yamagata.jp/ou/kanko/020073/bunkasinko/21-30.html 2018年4月14日閲覧。 
  5. ^ “白甕社 大正年間からの美術団体。息の長い安定した活動で地域文化の中核的存在として活躍”. サントリー文化財団. (1999年11月). https://www.suntory.co.jp/sfnd/prize_cca/detail/1981t1.html 2018年4月14日閲覧。 

外部リンク[編集]